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大學を形成するに至つたのである。, 西洋學の研究も諸外國との關係が緊密となるにつれて、俄に熾となり、文久二年, 幕府の直轄となり、醫學所と改稱したのも此の際のことである。此等洋學研鑽, 等に學制更張・小學校建設用掛を命じ、庶民教育を徹底させようと圖つた。一方, 者鹽谷宕陰, には外山正一・箕作奎吾・菊池大麓等があつた。下谷和泉橋通にあつた種痘所が, 頗る多く、又開成所は大學南校、醫學所は大學東校となり、兩々相合して東京帝國, の府に教鞭を執り、或は勉學せる者にして、やがて明治文化の發達に貢獻せる者, する道を開き、以て昌平黌の規模を充實した。更に翌三年二月には、正訥・種樹・昇, 五月十八日には、蕃書調所を九段坂下より護持院原に移して、洋書調所と改稱せ, 嘖々たるものがあつたので、之を拔擢して儒者となし、宋學以外の學者をも登用, 其の教授役として聞え、後堀達之助・杉亨二・神田孝平等亦之に加はり、來り學ぶ者, しめ、更に之を學問所の管下に置き、翌三年八月二十九日、開成所と改めさせた。, 津山藩士箕作玩甫, 及び正訥の臣芳野金陵, ・同津田眞一郎・薩州藩醫川本幸民裕・小濱藩醫杉田玄端等は, ・飫肥藩儒者安井息軒, 等の令名, 仲平, 立藏, 世弘, 甲藏, 世育, 孺, 衡, 處, 洋書調所, と醫學所, 第二章幕政の改革第四節庶政の革新, 一九九
割注
- 仲平
- 立藏
- 世弘
- 甲藏
- 世育
- 孺
- 衡
- 處
頭注
- 洋書調所
- と醫學所
柱
- 第二章幕政の改革第四節庶政の革新
ノンブル
- 一九九
注記 (30)
- 329,562,57,1023大學を形成するに至つたのである。
- 1402,553,63,2308西洋學の研究も諸外國との關係が緊密となるにつれて、俄に熾となり、文久二年
- 681,555,64,2312幕府の直轄となり、醫學所と改稱したのも此の際のことである。此等洋學研鑽
- 1517,548,66,2311等に學制更張・小學校建設用掛を命じ、庶民教育を徹底させようと圖つた。一方
- 1874,551,54,326者鹽谷宕陰
- 806,559,64,2303には外山正一・箕作奎吾・菊池大麓等があつた。下谷和泉橋通にあつた種痘所が
- 448,556,61,2309頗る多く、又開成所は大學南校、醫學所は大學東校となり、兩々相合して東京帝國
- 564,564,62,2302の府に教鞭を執り、或は勉學せる者にして、やがて明治文化の發達に貢獻せる者
- 1635,548,63,2315する道を開き、以て昌平黌の規模を充實した。更に翌三年二月には、正訥・種樹・昇
- 1285,553,63,2302五月十八日には、蕃書調所を九段坂下より護持院原に移して、洋書調所と改稱せ
- 1754,552,61,2307嘖々たるものがあつたので、之を拔擢して儒者となし、宋學以外の學者をも登用
- 924,553,64,2313其の教授役として聞え、後堀達之助・杉亨二・神田孝平等亦之に加はり、來り學ぶ者
- 1160,558,64,2253しめ、更に之を學問所の管下に置き、翌三年八月二十九日、開成所と改めさせた。
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