『維新史』 維新史 4 p.346

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牟田倉之助, を退學して蘭學寮に入つてゐた大隈八太郎, 之助・石丸虎五郎, 廣く藩士を入學せしめ、蘭學を授くる所と爲した。教授には前記雪齋・良英の外, に藩士四十餘名を參加せしめたが、此の時、蘭學寮からは、千之助・倉之助等十五名, つたが、彼は歸來するや蘭學の時代後れにして、今や將に英學を起すべきである, が其の選に入つた。, も大いに千之助の説に共鳴し、英, 學を藩内に普及せしめんと計り、有司の贊同を得て、慶應元年の初め、長崎五島町, 次いで、千之助は萬延元年遣米使節の一行に加は, 五名が當つた。而して齊正は蘭學を奬勵する爲に、屡〻自ら蘭學寮に臨んで學業, を視察した。斯くて入寮生も漸次多く、其の中には小出千之助, 學研究に志し、長崎に出でて修業に努めた。次いで千之助・八太郎の二人は、盆〻英, ことを力説した。此の爲か、藩廳は翌文久元年二月に至り、秀島藤之助・中牟田倉, の諫早屋敷に英學館を設けた。これ即ち致遠館である。而して致遠館の監督, 安政二年幕府が長崎に海軍傳習所を開き、諸藩士の入所を許した際、藩廳は之, 等を英學修業のため長崎に派遣した。また曩に藩黌弘道館, ・眞木安左衞門, 等があつた。, 江藤新平, 中, 第二卷第四編第, 三章第二節參照, 信, 義, 世, 胤, 長, 雄, 武, 安, 光, 重, 彰, 臣, 致遠館, 第十四編外交の轉機, 三四六

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  • 第二卷第四編第
  • 三章第二節參照

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  • 致遠館

  • 第十四編外交の轉機

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  • 三四六

注記 (38)

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