『維新史』 維新史 4 p.400

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使を派遣するであらうと簡單に考へてゐたのである。, 第三節長州再征の勅許, 大坂城に入り、同所を長州藩征討の本營と定めたのである。, 大坂に進めた。二十八日松平容保も亦下坂し、六月二日一橋慶喜・徳川茂徳も亦, 下り、六ツ時, 將軍を迎へ、爾後慶喜・容保茂徳・茂承等は屡〻大坂城に相會した。斯くの如く徳川, 各〻京都を發して大坂に赴いた。是より先紀州藩主徳川茂承も亦大坂に在つて, 分に就いて何等公に協議を行ふ事もなく、密かに私語を交へるのみであつた。, 一門の雄藩主等が一堂に會せるに拘らず、在坂の老中等幕閣の要路は、長州藩處, 彼等は、長州藩は將軍大坂に出陣せりと聞いて直ちに其の威に幅伏し、忽ち伏罪, 慶應元年閏五月二十五日、將軍徳川家茂は老中以下の諸有司を從へて牙營を, 將軍の大坂に滯陣するや、〓りに幕兵及び諸藩兵の調練を閲し、又老中等は盛, 一長州支藩主上坂の幕命, 午後, 六時, 幕議容易, に決せず, 第十五編第二囘征長の役, 四〇〇

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  • 午後
  • 六時

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  • 幕議容易
  • に決せず

  • 第十五編第二囘征長の役

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  • 四〇〇

注記 (19)

  • 315,590,55,1552使を派遣するであらうと簡單に考へてゐたのである。
  • 1454,917,66,874第三節長州再征の勅許
  • 1726,1057,58,1685大坂城に入り、同所を長州藩征討の本營と定めたのである。
  • 1006,581,58,2288大坂に進めた。二十八日松平容保も亦下坂し、六月二日一橋慶喜・徳川茂徳も亦
  • 1727,585,49,315下り、六ツ時
  • 775,583,59,2290將軍を迎へ、爾後慶喜・容保茂徳・茂承等は屡〻大坂城に相會した。斯くの如く徳川
  • 892,582,57,2288各〻京都を發して大坂に赴いた。是より先紀州藩主徳川茂承も亦大坂に在つて
  • 546,587,57,2236分に就いて何等公に協議を行ふ事もなく、密かに私語を交へるのみであつた。
  • 662,595,60,2281一門の雄藩主等が一堂に會せるに拘らず、在坂の老中等幕閣の要路は、長州藩處
  • 430,588,57,2286彼等は、長州藩は將軍大坂に出陣せりと聞いて直ちに其の威に幅伏し、忽ち伏罪
  • 1121,650,57,2221慶應元年閏五月二十五日、將軍徳川家茂は老中以下の諸有司を從へて牙營を
  • 198,659,61,2214將軍の大坂に滯陣するや、〓りに幕兵及び諸藩兵の調練を閲し、又老中等は盛
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