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二休戰の朝命, 一橋慶喜は、八月十二日を以て出陣首途の日と定めた。然るに其の前日十一, 日に、小倉落城、老中小笠原長行遁走、諸藩兵小倉退去の悲報が京都に齎された。, 慶喜は此の報に接し、萬事休すと歎じ、斯く征長軍に瓦解の兆現れたる上は、寧ろ, ると考へ、斷然出陣の中止を決意するに至つた。ただ慶喜の苦心する所は、如何, 休戰の令を下して諸大名の心を收攬し、然る後徐ろに善後措置を講ずべきであ, とを主張したが、慶喜は出征の所信を披歴して屈せず、聖慮又解兵を非とせられ, は出陣御暇乞の爲參内し、小御所に於いて天顏を拜し、天盃を賜つた。猶此の際, 給うたので、廟議は茲に征長續行に決したのである。斯くて同月八日には、慶喜, 速かに追討の功を奏すべしとの勅語と節刀とを賜り、剩へ七社, なる形式を以て休戰解兵の議を公表すべきかにあつた。斯くて遂に慶喜は勅, 激し、勇躍戎衣を著して戰地に向はんとしたのである。, に慶喜戰捷の祈祷を命じ給うた。慶喜は天恩の厚きに感, 七寺, 仁和・東大・興福・延, 神宮・石清水・賀茂・松, 暦・園城・護國・廣隆, 尾・平野・稻荷・春日, 中止, 小倉口解, 兵と出陣, 第十五編第二囘征長の役, 五二二
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- 仁和・東大・興福・延
- 神宮・石清水・賀茂・松
- 暦・園城・護國・廣隆
- 尾・平野・稻荷・春日
頭注
- 中止
- 小倉口解
- 兵と出陣
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- 第十五編第二囘征長の役
ノンブル
- 五二二
注記 (23)
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- 324,592,60,2272ると考へ、斷然出陣の中止を決意するに至つた。ただ慶喜の苦心する所は、如何
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