『維新史』 維新史 5 p.182

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書を送つて、此の旨を奏聞せられ度いと請うた。, と。即ち鳥羽・伏見の戰の罪を、全く先供の者に歸したのであつた。尋いで十, 斯くの如く慶喜は〓りに自己の辯疏に努めると共に、やがて退隱の意を洩, 九日、慶喜は在府の諸藩主に登城を命じ、自ら鳥羽・伏見の戰の顛末を述べ、決し, め諸藩に對して、余の汚名を雪ぐやう盡力せられ度いと依頼した。而して繼, 子喜廷等に送つて、余の素志に反して圖らずも朝敵の汚名を蒙るに至つたこ, ことを忠告しようとしたが、容易に東下の機會を得なかつた。然るに慶喜の, て朝敵たるの意志なき旨を力説し、同じく朝廷に對して己が辯疏を依頼した。, とは、誠に恐懼に堪へず、茲に繼嗣を選んで退隱せんと欲するが故に、朝廷を始, 書を見るに及んで、彼が自ら繼嗣を選定するが如きは、却つて恭順の趣旨に反, らすに至つた。即ち二十一日、慶喜は書を松平慶永及び熊本藩主細川慶順・世, 是より先慶永は自ら江戸に赴き、慶喜に對して專ら恭順謝罪の誠を現さん, 嗣に就いては、慶喜は紀州藩主徳川茂承を選ばんと欲し、二十五日更に慶永に, 之樣致懇希候。, 之樣致懇希候。(戊辰日記, 松平慶永, の忠告, 第二章江戸開城第二節徳川家救解運動, 一八三, (戊辰日記)

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  • 松平慶永
  • の忠告

  • 第二章江戸開城第二節徳川家救解運動

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  • 一八三
  • (戊辰日記)

注記 (20)

  • 720,525,59,1418書を送つて、此の旨を奏聞せられ度いと請うた。
  • 1750,538,59,2308と。即ち鳥羽・伏見の戰の罪を、全く先供の者に歸したのであつた。尋いで十
  • 1407,603,60,2242斯くの如く慶喜は〓りに自己の辯疏に努めると共に、やがて退隱の意を洩
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  • 948,532,60,2316め諸藩に對して、余の汚名を雪ぐやう盡力せられ度いと依頼した。而して繼
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