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んと御止申上し事は、余も正しく伺ひ知りたる事, 家を相續させたのであると考へることも出來る。併しながら天保十二年にあ, 將軍繼嗣に擬してゐたと見え、即ち大目付土岐頼旨, つては、慶喜は未だ五歳に滿たないから、今遽に此の説を信ずるを得ないが、家慶, 示すに至つた。思ふに老中阿部正弘・御側御用取次本郷泰固, 水家も亦當主を缺いてゐたにも拘らず、之を放置して、獨り一橋家のみの當主を, は家慶の齊昭に對する感情も可也に融和して、寧ろ之に倚頼せんとする態度を, が早くより慶喜に囑目してゐたことは事實であつた。幕府が當時三卿中の清, であることは明瞭であつて、遂に家慶は齊昭を慰撫する爲、慶喜に一橋家相續の, 一橋公を西城へと申事は、恭廟, ことを命ずるに至つたとも考へられる。猶家慶は天保十二年の頃既に慶喜を, と記してゐる。果して然らば、家慶は他日慶喜を西丸に入れしめんが爲に、一橋, りしを、本郷丹州の御時節もあるへき事にて、唯今仰せ出されてはあしかりな, の談として、, 等奔走の結果, 定め、而も水戸家をして將軍家と最も關係の深い家を相續させたのは、慶喜の英, の蚤く思召付れて其内慮あ, 薨去の砌、愼廟, (昨夢紀事), (昨夢紀事), 丹後, 丹波, 略, 齊, 慶, 下, 守, 家, 家, 守, 第五編朝幕の乖離, 三八四
割注
- 丹後
- 丹波
- 略
- 齊
- 慶
- 下
- 守
- 家
柱
- 第五編朝幕の乖離
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- 三八四
注記 (32)
- 933,652,61,1397んと御止申上し事は、余も正しく伺ひ知りたる事
- 701,575,68,2284家を相續させたのであると考へることも出來る。併しながら天保十二年にあ
- 1282,582,63,1472將軍繼嗣に擬してゐたと見え、即ち大目付土岐頼旨
- 588,583,65,2277つては、慶喜は未だ五歳に滿たないから、今遽に此の説を信ずるを得ないが、家慶
- 1623,585,66,1740示すに至つた。思ふに老中阿部正弘・御側御用取次本郷泰固
- 358,577,65,2284水家も亦當主を缺いてゐたにも拘らず、之を放置して、獨り一橋家のみの當主を
- 1738,592,67,2275は家慶の齊昭に對する感情も可也に融和して、寧ろ之に倚頼せんとする態度を
- 473,579,64,2285が早くより慶喜に囑目してゐたことは事實であつた。幕府が當時三卿中の清
- 1504,585,68,2277であることは明瞭であつて、遂に家慶は齊昭を慰撫する爲、慶喜に一橋家相續の
- 1168,664,60,843一橋公を西城へと申事は、恭廟
- 1390,586,65,2278ことを命ずるに至つたとも考へられる。猶家慶は天保十二年の頃既に慶喜を
- 817,581,66,2284と記してゐる。果して然らば、家慶は他日慶喜を西丸に入れしめんが爲に、一橋
- 1045,649,64,2214りしを、本郷丹州の御時節もあるへき事にて、唯今仰せ出されてはあしかりな
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- 243,579,65,2279定め、而も水戸家をして將軍家と最も關係の深い家を相續させたのは、慶喜の英
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