『維新史』 維新史 2 p.392

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無かつたのである。, 柳營の内部には如何に紀州閥の牢乎たるものがあつたかを知るに足るべく、此, られたからでもあつた。由來紀州藩は三家中にあつても、徳川宗家との關係は, に至つたのは、當時紀州の慶福を擁立しようとする南紀黨に對抗するの要に迫, は共に紀州家を相續して、第十一代・第十二代の藩主となつた。斯く觀じ來れば、, 殊に緊密であつた。即ち元和五年家康の第十子頼宣が紀州和歌山五十五萬五, の點に於いては、三家の筆頭尾州家と雖も一籌を輸せざるを得ず、水戸家に至つ, ては、定府の特典が存したとは云へ、關係は最も稀薄であつた。今や將軍繼嗣問, 題が起るに及んで、慶福を擁立せんとする南紀黨の活躍を見るのも、亦偶然では, 千石に封ぜられて以來、第五代の藩主吉宗は宗家を繼いで八代將軍と爲り、其の, 子家重・孫家治は九代・十代の將軍と爲つた。十一代家齊は一橋治濟の子である, した。嘉永二年閏四月二日僅かに四歳にして襲封し、同四年十月元服して將軍, が、實に吉宗の曾孫であり、家齊の第二子家慶は十二代を繼承し、其の弟齊順・齊彊, 慶福は齊順の子であつて、弘化三年閏五月二十四日に生れ、幼名を菊千代と稱, 徳川慶福, 第五編朝幕の乖離, 三九二

頭注

  • 徳川慶福

  • 第五編朝幕の乖離

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  • 三九二

注記 (17)

  • 454,570,52,532無かつたのである。
  • 906,568,62,2278柳營の内部には如何に紀州閥の牢乎たるものがあつたかを知るに足るべく、此
  • 1601,574,62,2276られたからでもあつた。由來紀州藩は三家中にあつても、徳川宗家との關係は
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