『維新史』 維新史 1 p.170

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あつたといふ特殊の事實が、之を愈〻高調させたことであつた。, の最も代表的なのは南朝事蹟の顯彰であり、少壯「太平記」を讀んで、諸忠臣の殉忠, に代ふるに贊を以てしたいと請ひ求めたので、先づ狩野探幽に命じて描かしめ, に感激措くこと能はず、朱舜水に楠公傳の撰を依頼したことである。舜水は傳, も刻せられたので、文は愈〻顯れて世人に多大の感銘を興へたことは、周知の事實, 代の加賀藩主と爲るに及んで、京都との關係は爾來頓に緊密を加ふるに至つた、, めてゐる。綱紀の尊王の志は、斯かる事情に因ることも多かつたであらうが、其, た櫻井驛訣別圖を與へて、之に贊せしめた。これ寛文十年十一月のことで、外叔, 父光圀が湊川の建碑に先だつこと二十二年であり、贊文はやがて湊川の碑陰に, 蓋し前田氏の祖は遠く菅原道眞に出で、戰國時代の末期に利家が出でて第一, 即ち第三代の利常は後水尾天皇の御寵眷を蒙つた外に、女の富姫は智忠親王, 女直姫を内大臣二條吉忠に、翌三年に養女壽姫を權中納言三條西公福に嫁せし, である。而して綱紀は、探幽が描く所の圖が猶精ならざるを憾み、更に考索を重, の妃となり、第四代の光高も亦朝紳と交誼が厚く、綱紀は正徳二年に, 成天皇の皇弟智, 仁親王の王子, 後, 陽, 田氏との, 訣別圖と, の櫻井驛, 關係, 狩野探幽, 朝廷と前, 朱舜水の, 贊, 第一編尊王論の發達, 一七〇

割注

  • 成天皇の皇弟智
  • 仁親王の王子

頭注

  • 田氏との
  • 訣別圖と
  • の櫻井驛
  • 關係
  • 狩野探幽
  • 朝廷と前
  • 朱舜水の

  • 第一編尊王論の發達

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  • 一七〇

注記 (28)

  • 1696,591,57,1738あつたといふ特殊の事實が、之を愈〻高調させたことであつた。
  • 906,584,58,2266の最も代表的なのは南朝事蹟の顯彰であり、少壯「太平記」を讀んで、諸忠臣の殉忠
  • 682,589,57,2258に代ふるに贊を以てしたいと請ひ求めたので、先づ狩野探幽に命じて描かしめ
  • 794,587,58,2267に感激措くこと能はず、朱舜水に楠公傳の撰を依頼したことである。舜水は傳
  • 326,587,58,2264も刻せられたので、文は愈〻顯れて世人に多大の感銘を興へたことは、周知の事實
  • 1474,584,60,2278代の加賀藩主と爲るに及んで、京都との關係は爾來頓に緊密を加ふるに至つた、
  • 1017,586,58,2268めてゐる。綱紀の尊王の志は、斯かる事情に因ることも多かつたであらうが、其
  • 562,588,60,2260た櫻井驛訣別圖を與へて、之に贊せしめた。これ寛文十年十一月のことで、外叔
  • 444,586,59,2265父光圀が湊川の建碑に先だつこと二十二年であり、贊文はやがて湊川の碑陰に
  • 1585,651,59,2185蓋し前田氏の祖は遠く菅原道眞に出で、戰國時代の末期に利家が出でて第一
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