『維新史』 維新史 5 p.197

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は靜寛院宮の御手書, て京都に赴き、前橋藩主松平直克・目付黒川嘉兵衞, に至り、大總督府に對して徳川家の寛大なる處分を哀願した。更に紀州藩主, 針を闡明せられなかつたのである。, 家救解の爲に盡力した。尋いで三月四日、一橋茂榮, 刑と徳川家の滅亡とを憂へて、〓りに朝廷に哀訴歎願を重ねた。即ち淀藩主, 徳川茂承・高田藩主榊原政敬, たが、朝廷並びに東征大總督府は、慶喜及び徳川家の處分に就いて、未だ其の方, 願書を朝廷に上つた。斯くの如く、徳川家救解運動は日を逐うて盛んとなつ, 此の前後、徳川家の家門は固より、譜代の諸侯及び舊幕府有司も亦、慶喜の嚴, 等の如きも、相前後して朝廷に徳川家の存續を哀訴し、小田原藩主大久保, 津山藩主松平慶倫, 等東國の諸侯四十三人は、三月二日連署の歎, 稻葉正邦は二月二十一日老中の職を辭するや、二十六日慶喜の歎願書を携へ, 等も亦、夫々上京して徳川, 及び田安慶頼と茂榮との連署の歎願書を携へて江戸を出發し、二十七日駿府, 忠禮, 佐倉藩主堀田正倫, 中津藩世子奧平昌邁, 納言, 權大, 相模, 加賀, 式部, 美作, 三河, 敬, 大輔, 守, 雅, 守, 守, 守, の歎願, 諸侯有司, 第十九編戊辰の役, 一九八

割注

  • 納言
  • 權大
  • 相模
  • 加賀
  • 式部
  • 美作
  • 三河
  • 大輔

頭注

  • の歎願
  • 諸侯有司

  • 第十九編戊辰の役

ノンブル

  • 一九八

注記 (37)

  • 1255,2257,60,615は靜寛院宮の御手書
  • 1374,556,63,1465て京都に赴き、前橋藩主松平直克・目付黒川嘉兵衞
  • 1025,554,64,2311に至り、大總督府に對して徳川家の寛大なる處分を哀願した。更に紀州藩主
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  • 1257,553,63,1542家救解の爲に盡力した。尋いで三月四日、一橋茂榮
  • 1607,552,69,2318刑と徳川家の滅亡とを憂へて、〓りに朝廷に哀訴歎願を重ねた。即ち淀藩主
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  • 450,549,60,2317たが、朝廷並びに東征大總督府は、慶喜及び徳川家の處分に就いて、未だ其の方
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