『維新史』 維新史 5 p.278

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高田に到著した。, を率ゐて柏崎に出でんとした。蓋し兩軍相呼應して長岡城を挾撃すべき策, 曩に信州の諸藩兵を率ゐて此處に進駐せる岩村精一郎等の軍と合した。永, に陣し、桑名藩兵の先鋒は鯨波驛, 出で、信濃川を渡り、榎峠の嶮を衝いて長岡に迫り、本隊の海道軍は山縣・黒田之, 會津藩兵を驅逐して二十七日小千谷に進み、海道軍は鯨波驛の桑名藩兵を撃, 祐は當時江戸に滯在し、大總督府の指揮下にあつたが、閏四月二十五日小濱藩, であつたのである。兩軍は閏四月二十一日高田を進發し、山道軍は小出島の, 破して翌二十八日柏崎に到著した。然るに榎峠の嶮を扼せる長岡藩兵は最, を山道・海道の二に分つた。而して山道軍は岩村精一郎之を率ゐて小千谷に, 兵を率ゐて副總督四條隆平と共に江戸を發し、海路北海を迂囘して五月八日, に出兵を促して、閏四月十九日豫て北越攻略の策源地と定めた高田に到著し、, 時に會津藩兵の先鋒は小出島, に在つた。仍つて山縣・黒田兩參謀は情況を按じて進撃の部署を定め、先づ軍, 州・長州兩藩兵を率ゐ、京都を發して、陸路北進し、行く行く越前・加州・越中の諸藩, 越後國, 越後國, 北魚沼郡, 刈羽郡, 長岡進撃, 第三章東北の戰爭第三節越後口・秋田口の戰, 二七九

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  • 越後國
  • 北魚沼郡
  • 刈羽郡

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  • 長岡進撃

  • 第三章東北の戰爭第三節越後口・秋田口の戰

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  • 二七九

注記 (22)

  • 1276,523,58,495高田に到著した。
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  • 1621,517,63,2328曩に信州の諸藩兵を率ゐて此處に進駐せる岩村精一郎等の軍と合した。永
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