『維新史』 維新史 5 p.290

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澤村に退陣した。, 篤も亦、越後口總督府の軍門に降つたので、院内曰・矢島口・新屋口の賊軍は漸次, 所口の官軍に合して之を援け、野邊地口の弘前藩兵は黒石藩兵と共に九月二, 第四節會津藩の歸順と東北諸藩の處分, 相次いで軍門に降つたので、盛岡藩主南部利剛も九月二十四日遂に謝罪書を, 邊地, 十三日野邊地を攻撃したが、盛岡藩兵克く防戰し、之を破る能はず、却つて刈場, 兵を纏めて庄内藩領に退き、茲に久保田藩領内に全く賊影を見ざるに至つた。, 奧羽鎭撫總督府に上つて降を請うた。尋いで同月二十七日庄内藩主酒井忠, ・早瀬野, て盛岡藩を討たしめた。仍つて承昭は藩兵を碇ケ關, 然れども既に白河口・越後口官軍の進撃は著々功を奏し、仙臺・米澤等諸藩は, の三道に進めた。碇ケ關・早瀬野兩道の弘前藩兵は相次いで十二, 督の命を奉じて弘前に至り、曩に勤王誓書を上つた藩主津輕承昭, に命じ, 及び野, 陸奧國, 南津輕郡, 北津輕郡, 陸奧國, 越中, 守, 同, 内藩の降, 盛岡藩庄, 伏, 第三章東北の戰爭第四節會津藩の歸順と東北諸藩の處分, 二九一

割注

  • 陸奧國
  • 南津輕郡
  • 北津輕郡
  • 越中

頭注

  • 内藩の降
  • 盛岡藩庄

  • 第三章東北の戰爭第四節會津藩の歸順と東北諸藩の處分

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  • 二九一

注記 (28)

  • 1259,547,56,494澤村に退陣した。
  • 797,546,67,2319篤も亦、越後口總督府の軍門に降つたので、院内曰・矢島口・新屋口の賊軍は漸次
  • 1489,550,63,2314所口の官軍に合して之を援け、野邊地口の弘前藩兵は黒石藩兵と共に九月二
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  • 911,544,69,2322奧羽鎭撫總督府に上つて降を請うた。尋いで同月二十七日庄内藩主酒井忠
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  • 1605,911,62,1950の三道に進めた。碇ケ關・早瀬野兩道の弘前藩兵は相次いで十二
  • 1838,546,60,1977督の命を奉じて弘前に至り、曩に勤王誓書を上つた藩主津輕承昭
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