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主牧野忠訓も亦、降伏謝罪した。, は新發田に至り、, 討先鋒と爲つた。次いで十月六日、曩に會津より米澤に遁入してゐた長岡藩, で、齊憲は九月三日出でて米澤城外に屏居し、其の子茂憲, 軍は八十里越及び六十里越の二路を分進し、九月二日叶津, 行程意の如くならず、遂に若松城下の攻防戰には參加するを得なかつた。, 使者を遣して降を請うた。總督府は之を聽して、其の封疆の撤兵を命じたの, 書を總督府に上つて罪を謝し、官軍の先鋒たらんことを請ひ、聽されて會津征, 體し、更に狹隘の山道を辿り、進撃したが、嶮要に據る會津藩兵の抗拒に會して, 是より先上杉齊憲は使者を同盟諸藩に遣して歸順を勸めた。時に前老中, づ三日市藩を降し、尋いで米澤本道を東進し、沼・片貝, 小笠原長行・前陸軍奉行竹中重固・前歩兵奉行大鳥圭介等は福島に在り、松平定, 又新發田の官軍は七月二十八日新發田藩兵を先鋒として米澤口に向ひ、先, 兵と對峙する事十餘日に及んだが、八月二十八日に至り、遂に藩主上杉齊憲は, 諸村に於いて米澤藩, 敬も亦米澤を去つて此所に赴いた。仍つて長行等は定敬を推して總督と爲, に於いて合, 大輔, 式部, 越後國, 岩船郡, 岩代國, 南會津郡, 米澤藩の, 降伏, 等の〓走, 松平定敬, 第十九編戊辰の役, 二八四
割注
- 大輔
- 式部
- 越後國
- 岩船郡
- 岩代國
- 南會津郡
頭注
- 米澤藩の
- 降伏
- 等の〓走
- 松平定敬
柱
- 第十九編戊辰の役
ノンブル
- 二八四
注記 (29)
- 590,536,58,920主牧野忠訓も亦、降伏謝罪した。
- 932,2389,57,487は新發田に至り、
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- 934,541,59,1679で、齊憲は九月三日出でて米澤城外に屏居し、其の子茂憲
- 1741,537,59,1762軍は八十里越及び六十里越の二路を分進し、九月二日叶津
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- 812,531,63,2333書を總督府に上つて罪を謝し、官軍の先鋒たらんことを請ひ、聽されて會津征
- 1622,533,61,2325體し、更に狹隘の山道を辿り、進撃したが、嶮要に據る會津藩兵の抗拒に會して
- 473,604,61,2253是より先上杉齊憲は使者を同盟諸藩に遣して歸順を勸めた。時に前老中
- 1281,544,58,1530づ三日市藩を降し、尋いで米澤本道を東進し、沼・片貝
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