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に美子と改めさせられた。, 即ち御坤徳一世に高き後の昭憲皇太后にまします。女王にあらせられずし, て御入内即日立后の儀を行はせられたのは、蓋し皇后が始めであらせられた。, 當時の慣例では、立后と申しても多くは中宮であらせられた。然るに議定松, の三女壽榮君を入れて妃と爲さんとの御叡慮に在しました。既にして慶應, 日先帝の御叡慮に從はせられ、壽榮君を以て女御と爲すに決し、其の旨を仰出, 平慶永は皇后の稱に復せられん事を希ひ、翌日書を輔相岩倉具視に致して、「是, 入内あらせられ、女御の宣下を蒙り、即日立后の儀が執り行はせられた。これ, されたのであつた。姫は嘉永三年四月十七日, 三年正月天皇の踐祚あらせられるや、女御宣下の事が朝議に上り、六月二十八, に御誕生あらせら, 迄之御規則、立后之後、被稱中宮候得共、御一新、別て衆人能知り易くして格別尊, れ、御幼名を富貴君、後に壽榮君と稱し、御諱を勝子と申し上げ、女御の宣下と共, 崇し、且萬國にても尊稱を極むる號は、皇后にしくはなし。以來中宮の御稱呼, 斯くて翌明治元年十二月二十六日に從三位に敍せられ、越えて二十八日御, 實は嘉永二年十, 一月二十八日, 女御の決, 皇后册立, 定, 第二十編新政の基礎, 三七四
割注
- 實は嘉永二年十
- 一月二十八日
頭注
- 女御の決
- 皇后册立
- 定
柱
- 第二十編新政の基礎
ノンブル
- 三七四
注記 (22)
- 1152,566,57,777に美子と改めさせられた。
- 809,568,60,2320即ち御坤徳一世に高き後の昭憲皇太后にまします。女王にあらせられずし
- 695,570,63,2338て御入内即日立后の儀を行はせられたのは、蓋し皇后が始めであらせられた。
- 575,565,63,2322當時の慣例では、立后と申しても多くは中宮であらせられた。然るに議定松
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- 1496,565,60,2318日先帝の御叡慮に從はせられ、壽榮君を以て女御と爲すに決し、其の旨を仰出
- 455,566,63,2321平慶永は皇后の稱に復せられん事を希ひ、翌日書を輔相岩倉具視に致して、「是
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