『維新史』 維新史 5 p.507

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に列する旨を仰出されたのである、, り、六年六月九日には兩社共に官幣中社に列し給うたのである。, て兇刃に斃れさせられ、宗良親王は井伊谷, 撫の任に當らせ給ひ、孰れも御志を遂げさせられず、護良親王は鎌倉, 座祭が執り行はせられた。茲に兩親王の神靈は永へに神鎭まります事とな, 直憲の祖先が親王に奉仕した由緒を以て、其の工事の助成を直憲に命じ、同年, にして護良親王の社は同年四月に落成し、越えて六月十四日鎌倉宮と稱し奉, 三月に竣工した。五年正月二十日に井伊谷宮と稱し奉り、翌二月十三日に鎭, 起せしめたのである。故に明治二年二月十三日には護良親王の社を鎌倉に、, 宗良親王の社を井伊谷に創建あらせられる旨を仰出されたのであつた。既, 御偉業を輔け奉り、金枝玉葉の御身を以て遠く東國各地に轉戰し、或は人民綏, 護良親王・宗良親王は共に後醍醐天皇の皇子にましまし、早くより御父帝の, つた。されば兩親王の御忠烈は範を後昆に垂れ、深く幕末志士をして感奮興, の地に薨去あらせられたのであ, り、七月二十一日には鎭座祭が執行せられた。宗良親王の社は彦根藩主井伊, に於い, 模, 相, 遠, 江, の神社, 鎌倉宮, 皇族奉祀, 井伊谷宮, 第四章祭政一致第三節神社制度の制定, 五〇九

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  • の神社
  • 鎌倉宮
  • 皇族奉祀
  • 井伊谷宮

  • 第四章祭政一致第三節神社制度の制定

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  • 五〇九

注記 (26)

  • 1864,543,57,1057に列する旨を仰出されたのである、
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  • 1408,541,59,1252て兇刃に斃れさせられ、宗良親王は井伊谷
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  • 608,537,65,2319三月に竣工した。五年正月二十日に井伊谷宮と稱し奉り、翌二月十三日に鎭
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