『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.756

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勘解由次官, も皇子御一所を下遣はされて、四國九國の間を御調略あらんには、折ふし, に在京したる西國の大小名、一定顧慮の心を生して、何かに事よせて、やう, とく顯家卿をつけまゐらせて、重て東國に遣はされしことの如く、西國へ, 四國九國の大小名、過半將軍に從ひて上洛したる留守の事なれは、たゝち, やうに下國する輩も多かるへく、かくして四國九國の者ともを語らひ付, らん時、鎭西よりも同時に御上洛ありて、京都をさしはさみて攻給はんに, き機勢もなかりし程に、此上は、此春、義良親王を陸奧太守になされ、前のこ, は、なとか尊氏兄弟を都の外に追拂れてやはあるへきとの叡慮にて、懷良, 給はん其間には、義良親王も、重て東國勢を御催促ありて、程なく御上洛あ, 本國にある大宮司惟直になし下さ, 王のいまたいと御幼稚にておはせしを、にはかに無品親王の宣下ありて、, 征西大將軍に拜せられ、宮三位中將を大將とし、, れたる綸旨也、此前惟直かたゝら濱にて負軍して、自害したることは、いま, なり, 頼元眞人を御介錯に付られて、山門よりたゝちに鎭西へ下し遣はされし, ノ條ニ、宮三位中將丹波ヲ征スルコト見エタリ、參看スベシ、, ○宮三位中將、大將トシテ, ○コノ下二、九月八日ノ綸旨ヲ載, セタリ、前ニ出セルヲ以テ略ス, ノ〓蘇文書ニ散見セリ、本文因リテ推言セルナリ、五月十七日, 親王ニ供奉セルコト、此後, 延元元年九月十八日, 七五六

割注

  • ノ條ニ、宮三位中將丹波ヲ征スルコト見エタリ、參看スベシ、
  • ○宮三位中將、大將トシテ
  • ○コノ下二、九月八日ノ綸旨ヲ載
  • セタリ、前ニ出セルヲ以テ略ス
  • ノ〓蘇文書ニ散見セリ、本文因リテ推言セルナリ、五月十七日
  • 親王ニ供奉セルコト、此後

  • 延元元年九月十八日

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  • 七五六

注記 (24)

  • 553,2529,58,344勘解由次官
  • 1606,671,74,2202も皇子御一所を下遣はされて、四國九國の間を御調略あらんには、折ふし
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