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尊良親, に沒落して、其事、同十二日船上に聞えたりし程に、還幸の儀をうなかされ, 事はやく土佐へも聞えて、尊良親王も土佐を御たちにて、御船より御歸洛, たれとも、御品階の一品なりしことは、何とも見えたることなけれは、愚説, て、同二十三日に船上を出させ給ひ、山陰道にかゝりて還幸なりしかは、此, を同四國の内に遷しまゐらせたりしか、明る三年の五月七日、六波羅すて, て、宰府の原山, ありしをり、御祈願の事ありて、宰府に御參ありしか、また御路次の御用心, に、九國者ともを語らひ付給ひて、召具せらるへき御用意なとの御事にて、, 王は、當時すてに中務卿に御任官ありておはせし事は、其比の物にも見え, を近邊武士に申觸たりし程に、兩筑の者とも、妙惠か催促をうけて、かく太, 御船を筑前へ寄せ給ひたりしを、妙惠入道聞付て、やのて御迎になと參り, の僧坊に置まいらせ、まつ其よし, 宰府に馳參り、原山の御在所に宿直して、守護し奉りし成へし, をいかゝあらんなと、うたかふ人もあるへけれとも、尊良親王は、後醍醐帝, 〓と云、今は寺なし、然とも、中比より、僧徒は宰府の社僧に加, 原山は、宰府の乾にあり、昔は僧坊多して、四王寺の別所なり, 所も、大方同所なりつらんとおもふなり, しこと、梅松論に見えたれハ、此宮の御在, 良濱の合戰に打勝給ひ、それより宰府に來りたまひ、原山の一坊におハせ, ハりて、今も原山八坊とてあるよし、筑前續風土記に見えたり、尊氏卿多々, ○中, 略, 元弘三年五月二十六日, 三八
割注
- 〓と云、今は寺なし、然とも、中比より、僧徒は宰府の社僧に加
- 原山は、宰府の乾にあり、昔は僧坊多して、四王寺の別所なり
- 所も、大方同所なりつらんとおもふなり
- しこと、梅松論に見えたれハ、此宮の御在
- 良濱の合戰に打勝給ひ、それより宰府に來りたまひ、原山の一坊におハせ
- ハりて、今も原山八坊とてあるよし、筑前續風土記に見えたり、尊氏卿多々
- ○中
- 略
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- 元弘三年五月二十六日
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- 三八
注記 (25)
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