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にて、質素儉約の御趣意を相守りたれば、一藩の風俗も漸々立直り行く景況なりしに、天保十四, 半途より逃げ去りたりと、是れ一時の〓言なれ共、其の時の風俗を見るべし、君側如此文武の士, 是より先き、文政・天保年間、天下一般太平無事にて弊政多く、各藩其弊を受け、吾藩政も不振、, 豐〓公御家督御相續相成り候處、養徳公は、御性温厚にして、徳義を被爲重、文武の士を愛し、, 君側の輩は容姿艶麗なる軟弱の子を用ゐたり、故に優美男を見れば、君側向きと稱呼するに至る、, 狩漁・舞樂等を御好み無之、專ら朱子學を尊信し給ふにぞ、一藩若輩の面々大に志を勵ましける、, 右探索表面は中國・四國・九州と有之候得共、其實は大宰府へ罷越し候御内達也、其譯は、一躰, に、給仕共例の如く心得たるに、武骨なる武人又は愛嬌なき學者等而已にて、給女ども喫驚して, 然るに養徳公世子君の時より、近習には文武の士を用ゐられたり、其れに付、可笑戯言あり、君, 藩政も種々變遷相成りたるも、其重大之件は、天保十四年少將樣豐豐資公御隱居被爲遊、養徳院様, 側の饗應には給仕女子抔も衣服等を裝ひ出る風なるにぞ、養徳公御歸國の後、君側の金應の席, 年十二月に變事出來せり、其を如何と云ふに、當時馬淵嘉平なる人あり、同人は竹内流の柔術の, 佐々木三四郎殿, 同日, 小崎左司馬, 卷十五慶應二年, 卷十五慶應二年, 二九六
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- 卷十五慶應二年
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- 二九六
注記 (18)
- 396,578,61,2317にて、質素儉約の御趣意を相守りたれば、一藩の風俗も漸々立直り行く景況なりしに、天保十四
- 505,572,62,2326半途より逃げ去りたりと、是れ一時の〓言なれ共、其の時の風俗を見るべし、君側如此文武の士
- 1055,578,64,2314是より先き、文政・天保年間、天下一般太平無事にて弊政多く、各藩其弊を受け、吾藩政も不振、
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