『保古飛呂比』 保古飛呂比 7 明治9年~同10年 p.310

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然、一般の方向も確定候て、他日政府の御厄介もある間じくと存候間、御一新以來天恩の萬一を補, 縣候上は、必死の決心にて正不正判然可爲致覺悟の處、入縣四五日間は聊か動揺こ至申光景の處、, 其後は只風説のみ之て、追日平穩之趣き候、一體今度私軍不平徒の爲めニ斃れ候時は、早く玉石判, 候時節到來と存候處、意外二平穩二屬し、先以人民一般の幸福二候得共、何分陰症立(發シンチブス, 内閣二於ても、早速御差立の運二相成、本懷此事と、大二奮發仕候、畢竟、先年征韓論破裂の節も, 二相成、孰れも人民の方向二疑惑相生候樣の奸計も相行はれ、卻て陽發の一時は、害より或は毒を, 付候通、西京二於て種々の見込も有之、免角入縣仕候ては、卻て動搖を釀候樣の説も有之候二付、, 奉存候、私事も東京出足の砌より、速二入縣、乍微力應分の盡力可仕心得二候處、兼て御聞取被仰, 西京之滯在仕候、私の見込二ても、最初より縣地一般二王事之盡力致間敷、依ては、正義の徒を鼓, 申上候通、必死の覺悟こて入縣の心底二候處、速二佐賀平定こて、不及其儀候處、此度は是非共入, 事二付、條公よりも暫時滯京致候樣御示諭も有之、日々無聊二光陰相送り、何共汗面の至二候處、, 舞し、不正の徒をば如何程抵抗致候共不苦、玉石判然仕候場合と存候へ共、何分其説通こも不參、, 最早縣地の爲め周旋の道も無之、東歸可仕と存候處、其節舊知事滯京中nて、縣地の義心配被致候, 六月初旬二相成、縣地の光景も、最早玉石判然可致場合二立至り候樣被存候間、入縣の儀申立候處、, 態と差扣、事情は齋藤・土方〓申遣候、且柳原氏よりも申上呉候都合二付、時々御聞取被仰付候と, 卷三十九明治十年(七月), 三一一

  • 卷三十九明治十年(七月)

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  • 三一一

注記 (17)

  • 476,592,65,2372然、一般の方向も確定候て、他日政府の御厄介もある間じくと存候間、御一新以來天恩の萬一を補
  • 696,585,65,2349縣候上は、必死の決心にて正不正判然可爲致覺悟の處、入縣四五日間は聊か動揺こ至申光景の處、
  • 586,590,65,2375其後は只風説のみ之て、追日平穩之趣き候、一體今度私軍不平徒の爲めニ斃れ候時は、早く玉石判
  • 367,590,65,2342候時節到來と存候處、意外二平穩二屬し、先以人民一般の幸福二候得共、何分陰症立(發シンチブス
  • 918,589,64,2372内閣二於ても、早速御差立の運二相成、本懷此事と、大二奮發仕候、畢竟、先年征韓論破裂の節も
  • 255,604,66,2357二相成、孰れも人民の方向二疑惑相生候樣の奸計も相行はれ、卻て陽發の一時は、害より或は毒を
  • 1578,585,66,2345付候通、西京二於て種々の見込も有之、免角入縣仕候ては、卻て動搖を釀候樣の説も有之候二付、
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