『大日本史料』 1編 2 寛平 4年正月~延喜元年10月 p.807

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無實の讒奏をかまへ、光卿、定國卿、菅根朝臣もろともに僞て、勅定と稱して, 臣もかへり參りて、詩宴に攝り給ひしが、其日例録のうへに、兩皇并后宮の, 詩の題を出されて、召のむね是也、各詩を奉るべしと仰下されければ、左大, しめ、電術の雜寳をうづは給ひけり、されども菅丞相呪咀さらにおひ給は, ける、偖此事密儀なりといへども、世にもれきこえ侍りき、左大臣ねん頃に, 前に召て執行べしと仰下されけれど、しきりに辭し申させ給ひけれども, さらにゆるさゞりけり、左大臣此氣色を見給て、座せきを立て、陣座へ退き, 御衣をぬぎて、右大臣にかづけ給ひけり、左大臣の氣色例にたがひてぞ侍, 風をあふぐ、賢をえらび徳を貴ば、執政此人に當り給へり、胡廣累世之農夫, 給ひしに、唯今の召こそ、臣下あやしみをなしつべきとて、春生柳眼中と云, 陰陽寮の官人に種々の珍寶をあたへ、冥衆をまつり、皇城の八方に山野を, 也、伯始致位公相、黄憲牛醫之胤子也、叔度動名京師、かるが故に、右大臣を御, 云理、無〓賢臣ヲ昌泰四年正月廿五日、移大宰權帥、流西國在、無暫成、, 茂筑波山陰、紫霄ノ上星位靜、蒼海中波聲和也、然而妬婦破家、讒臣傾國、, 〔北野縁起〕上菅丞相は、重代執政にあらねども、渭水の流をくみ、商山の, 呪咀スト, ノ説, 延喜元年正月二十五日, 八〇七

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