『大日本史料』 1編 2 寛平 4年正月~延喜元年10月 p.881

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年松下見林の跋に、以爲二三十年來, もの中にて見あたりたらむには書補へてむ、, り、かくて今ある諸本どもに、本文を略きて云々と書たる所の文を、古書共, に引たるが遺りてあるべきを、おさ〳〵見あたらぬをおもへば、既くより, 世有寫書之商、藏, 全文は世に希なりしにや、但し扶桑略記第廿卷、, るゝ印本を始、諸本の原本にして、他の本どもと異なる所のあるは、彼此寫, 三代實録五十卷抄記之とあれば、, 聚國史及諸書、補其闕、正其誤、下雌黄者、不可枚擧云々といへる事も見えた, ○源能有等ニ勅シテ、國史ヲ編修セシムルコト、寛平四年五月一日ノ, 實録の今本に云々と書る處の文なり、其は略記光孝天皇の卷の終に、以上, 本朝群書、筆耕以爲養、好事者就求之、商人所寫不精詳云々、遂聚數本、或證類, し傳ふるほどに、又省略したるが故なるべし、かくて今在る印本、寛文十三, 元慶四年八月卅日辛亥、菅原是善卿薨の條の傳をのせたり、こは三代, 三代實録の文なる事疑なし、故己が本に書補へつ、なを後々古書ど, 條ニ見ユ、, り以來の事ときこゆ, 推量るに、正保の頃上, をいへるなり、本書の引注を見わきへ, 但し他書をも引加へたれど、此は他の文, 此卷弘文院印本にも闕た, 〓を、近頃或秘本を借りて, て知る, 寫得, たり, べし、, 印本, 延喜元年八月二日, 八八一

割注

  • り以來の事ときこゆ
  • 推量るに、正保の頃上
  • をいへるなり、本書の引注を見わきへ
  • 但し他書をも引加へたれど、此は他の文
  • 此卷弘文院印本にも闕た
  • 〓を、近頃或秘本を借りて
  • て知る
  • 寫得
  • たり
  • べし、

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  • 印本

  • 延喜元年八月二日

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  • 八八一

注記 (29)

  • 1678,648,57,1069年松下見林の跋に、以爲二三十年來
  • 500,649,55,1372もの中にて見あたりたらむには書補へてむ、
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