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長となり玉ふゆへ、左京人となへて稱する也, 俗姓王氏, 射、尋常の器に非と、, 土人説, 注進及諸書、尊師をもて皆左京人とす, 焉、生に泊んて祥光室を照す、相者曰、此兒七處平滿し、重瞳にして眼光人を, 母氏懷孕の時、その母空中に聲あるを聞に曰、五百年聖人來假胎、幸能保護, 云、尊師の母、此地にはふれきたりて師を誕す、母氏の舊蹟も今猶存せりと、, 父は兵部大丞葛聲王、尊師名は恆蔭王、, 今をもてかうかゆるに、降誕は鹽飽の内にして、左京に, 元亨釋書云、讚〓人、今讚〓鹽飽島の内に降誕の地あり、, 醍醐天皇, 〔理源大師寔録〕上壬子、天長九年、尊師誕, 或云、東京人、東京則, 行實記、及密林, 傳燈廣録の説, 左京、以南面言之、, 一説、大和人とす、蓋葛聲王大, 和より左京に移り玉ふか、舊, 兵部大丞とあり, 此梵宇、當山, の隷下也、, 母氏流人となる所, 注進、大丞の二字な, 記に、父は大和國, 古は姓を賜をもてめいほくと, 實人王五十三代也、, せるにや、阿保親王姓をこふて, の皇子、嵯峨帝の太弟、, め白壁王といひ、後に施基とあらため、その子をもて白, 由、今つはらならす, り、其實今不可徴、, 壁王と名付玉ふか、今不可知、疑はしきを闕て可なり、, の皇子、諱白壁王、又施基王と號す、光仁天皇の父なり、故後田原天皇と謚す, 光仁帝は春日親王の弟也、稱徳帝崩後、群臣尊んて帝とす、光仁帝亦白壁〓, 田原天皇第一皇子、正四位下春日親王後五世孫と云々、田原天皇は天智帝, と號す、神皇正統記、日本史等にみゆ、父子同名の事不審なり、若施基王は, 帝の年號なり、淳和帝は桓武帝, 月日欠、今不可徴、天長は淳和, 父母, 誕生ス, 島ニ生ル, トノ説, 左京ノ人, 天長九年, 俗名恆蔭, 一説大和, ノ人, 讚岐鹽飽, 容貌, 延喜九年七月六日, 一三九
割注
- 或云、東京人、東京則
- 行實記、及密林
- 傳燈廣録の説
- 左京、以南面言之、
- 一説、大和人とす、蓋葛聲王大
- 和より左京に移り玉ふか、舊
- 兵部大丞とあり
- 此梵宇、當山
- の隷下也、
- 母氏流人となる所
- 注進、大丞の二字な
- 記に、父は大和國
- 古は姓を賜をもてめいほくと
- 實人王五十三代也、
- せるにや、阿保親王姓をこふて
- の皇子、嵯峨帝の太弟、
- め白壁王といひ、後に施基とあらため、その子をもて白
- 由、今つはらならす
- り、其實今不可徴、
- 壁王と名付玉ふか、今不可知、疑はしきを闕て可なり、
- の皇子、諱白壁王、又施基王と號す、光仁天皇の父なり、故後田原天皇と謚す
- 光仁帝は春日親王の弟也、稱徳帝崩後、群臣尊んて帝とす、光仁帝亦白壁〓
- 田原天皇第一皇子、正四位下春日親王後五世孫と云々、田原天皇は天智帝
- と號す、神皇正統記、日本史等にみゆ、父子同名の事不審なり、若施基王は
- 帝の年號なり、淳和帝は桓武帝
- 月日欠、今不可徴、天長は淳和
頭注
- 父母
- 誕生ス
- 島ニ生ル
- トノ説
- 左京ノ人
- 天長九年
- 俗名恆蔭
- 一説大和
- ノ人
- 讚岐鹽飽
- 容貌
柱
- 延喜九年七月六日
ノンブル
- 一三九
注記 (52)
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