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四月十二日, 來る準備中なりきと語れり、, 此日西班牙人二名江戸より來り、, 一名予に傳言し、皇帝の生存せるは事實にして、彼は其死去を報ぜし人々, 而して之と同時に、唐津の王の家臣予を來訪し、皇帝は鷹狩の際落馬して, 重き病を得、もはや何人も彼と談話することを許されずとの風評あり、然, を率ゐて、駿河に赴くに出會せしことを告げ、又彼等は、ウイッカム君及び, に沙汰するまで皆留るべしと命じたる由を語れり、而して夜に及び、武十, られたり、, 此航海をなす由なり、, れども將軍樣は、博多の王并に肥前の王に歸國を許し、其他の人々には、更, イートン君は、何事の起るべきかを案じて、殘留せる貨物を携へて、平戸へ, 上方にては、一般に皇帝死去の風評あること、及び肥前の王が多數の士卒, の口を塞ぐ爲め、特に平戸の王及び他の兩國主と對話せるが、彼等の見た, 皇帝が、平戸の王に歸國を許しゝ由、并に, 王は十日以内に當地に著すべしと考ふる由、大炊殿の子息より予に報ぜ, 十七日, 和二年三月十二日二當ル, ○新暦二十七日ニシテ、元, ○新暦二十二日ニシテ、元和, 一年三月七日ニ當ル、中略, ○下, 略, 鍋島勝茂, 駿府ニ赴, ノ風説, 家康落馬, ク, 元和二年四月十七日, 八七二
割注
- 和二年三月十二日二當ル
- ○新暦二十七日ニシテ、元
- ○新暦二十二日ニシテ、元和
- 一年三月七日ニ當ル、中略
- ○下
- 略
頭注
- 鍋島勝茂
- 駿府ニ赴
- ノ風説
- 家康落馬
- ク
柱
- 元和二年四月十七日
ノンブル
- 八七二
注記 (30)
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