『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.644

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せり、鴨の長明海道路次の記に云、, 年參議右衞門督藤原忠文、征夷大將軍の宣旨をかうふり、節刀を給はつて、, の將軍良望、後は常陸大〓平國香と改名す、かれを亡し、關八州をしたかへ、, いふ人、朱雀院御宇、承平二壬辰、東國にをいて、叛逆をくはたて、伯父鎭守府, 四日、將門は秀郷か爲に討れぬ、又或説に、將門惡逆無道ゆへ、天より白羽の, 稱す、身はくろかねにて矢石もたゝす、鬼神の來現したると、見る人聞人を, 秀郷は、無雙のつはもの多勢の者也とて、將門か討手を仰付られたり、又翌, 下總の國相馬の郡に京を立、百官を召仕、逆威をふるひ、平親王とみつから, と書て、きよ, それさるはなかりけり、御門此よしきこしめし、下野國の住人俵藤太藤原, 皇六代孫陸奧鎭守府前將軍從五位下平朝臣良將次男相馬小次郎將門と, り、然所に、忠文下らさる以前、秀郷、貞盛と同意し、武略をめくらし、同二月廿, 同き三年癸巳正月十八日京都を打立、東國へ下向す、漸駿河の國清見關に, みかたせきとはしらてゆく人も心はかりはとゝめをくらんと長明詠せ, 矢一筋降て、將門かみけんに立、秀郷に誅せらるともあり、扨又延暦寺調伏, 著ぬ、忠文當浦の景風のたへなるに心をとむるとかや、是に付ておもひ出, 紀行ニ同ジキヲ以テ略ス, ○本月八日ノ條所收ノ東關, 東關, 將門戰死, ノ異説, 天慶三年二月十四日, 六四四

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  • 紀行ニ同ジキヲ以テ略ス
  • ○本月八日ノ條所收ノ東關
  • 東關

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  • 將門戰死
  • ノ異説

  • 天慶三年二月十四日

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  • 六四四

注記 (23)

  • 659,652,58,983せり、鴨の長明海道路次の記に云、
  • 1005,640,61,2214年參議右衞門督藤原忠文、征夷大將軍の宣旨をかうふり、節刀を給はつて、
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