『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.667

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べし、又將門、純友比叡山に登りて平安城を直下し、密に逆意を相語ひしと, ば、經基ふかく疑ふて、やがて上洛し、事の趣を奏せしかば、將門また一〓の, に和睦をとり結ぶと云へども、武芝が後陣故なく經基が營所を圍みしか, 思ひつゝ、終に果さりしといふこと、これみな當時の巷談街説なるを、好事, て、事なん〳〵と聞へしかば、將門これかれを鎭めん爲に、武藏國へ立越、既, て、獨蚩尤の地に滅ぶといへり、將門記に由ときは、流矢に命を落せしなる, のものが物にも記したる也、このとき將門、純友東西に起るといへども、合, いふこと、或は貞盛京師にて將門が謀反せんことを察して、これを撃んと, 月、權守興世王、介源經基朝臣と、足立郡司判官代武芝と不治のよしを爭ひ, ひて發けるに、將門が弓手の眼を冑の〓まで、矢さきしろく射出しければ、, を、秀郷はせよつて首をとると見えたり、又將門記には、新皇暗に神鏑に中, 戰のやうを按ずるに、聊も諜しあはしたりと思ふことなし、承平八年春二, けて、俵藤太といはん爲に、米かみとは詠たる也、實に將門は蟀谷より射ら, 將門無雙の猛將なれども、この矢一筋によはりて、馬より逆さまに落ける, れたるにも、切られたるにもあらず、中略今昔物語には、貞盛矢とつてつか, ズトノ説, 東西相應, ハ信ズル, ト比〓山, 將門純友, ニ登ルト, 將門ノ死, ニ足ラズ, 因, ノ説, 天慶三年二月十四日, 六六七

頭注

  • ズトノ説
  • 東西相應
  • ハ信ズル
  • ト比〓山
  • 將門純友
  • ニ登ルト
  • 將門ノ死
  • ニ足ラズ
  • ノ説

  • 天慶三年二月十四日

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  • 六六七

注記 (27)

  • 1198,659,68,2186べし、又將門、純友比叡山に登りて平安城を直下し、密に逆意を相語ひしと
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  • 849,661,66,2188のものが物にも記したる也、このとき將門、純友東西に起るといへども、合
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