『大日本史料』 7編 9 応永14年7月~同15年4月 p.804

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しの間によす、左右の次將これにそふ、三條宰相中將劒璽の役をつとめら, 給、昔は主上御身つからとれと仰られけるとかや、崇徳院幼主の御時まて, 門の外にて大將御つなを仰らる、これらはみなれいの事なれは、今更くは, はします、劒璽の内侍左右にたつ、關白庇の東のかたに候はせ給ふ、左の次, しくはしるさす、四あしの門を出させおはします程、立樂の音のせしこそ, も此勅たうありけるとそ、ふるき日記にも見をよひ侍し、次に御こしをは, し、御道は左衞門のちん代より北へ、一條を西へ、大宮を北へ、きた小路より, かたの朝臣すゝを奏す、關白しやくをならして、ちよくたうのよしをつけ, 將右にわたる、公卿北を上にて東むきにならひたゝる、左大將はしのまへ, たかはしを西へ、北山とのゝ惣門にいたるとそきこえし、この行幸まつは, よにをほつかなく侍る、まうけの御所にてこそある事とはうけ給をよひ, る、そのさほうつねのことし、御輿にめして後、關白御裾をたゝみ入らる、中, をわたりて、櫻の木のにしにすゝみたち給ふ、闡司のそうはて、少納言なか, つねの御かたたかへのよしなれと、いかめしうのゝしる、かきりあるをほ, かたの朝臣へんはいをつとめてしりそけは、御ちやうのまへにたゝせお, 出御, 四足門ヲ, 御順路, 〓司奏, 常ノ御方, 違ノ行幸, 鈴奏, ニ擬セラ, 反閉, 應永十五年三月八日, 八〇四

頭注

  • 出御
  • 四足門ヲ
  • 御順路
  • 〓司奏
  • 常ノ御方
  • 違ノ行幸
  • 鈴奏
  • ニ擬セラ
  • 反閉

  • 應永十五年三月八日

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  • 八〇四

注記 (26)

  • 1031,668,70,2186しの間によす、左右の次將これにそふ、三條宰相中將劒璽の役をつとめら
  • 1262,667,73,2193給、昔は主上御身つからとれと仰られけるとかや、崇徳院幼主の御時まて
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