『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.544

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て、今にから壕、升形などのさま、むかしのまゝに殘れり, めぐりは、すべて湖たゝへて、またなき要害の地なりしを、寛永といふ年の, きをわたりて、八幡廓にうつる、將門がいつきまつりし、妙見八幡とまうす, の御使なり、朕が位を蔭子將門に授く、速に音樂を以て迎奉れと、託宣あり, るかにぞ見わたされたる、齋藤氏かたりけらく、いにしへは相馬の僞都の, こは將門記や今昔物語に、人ありてくちばしりていはく、我は八幡大菩薩, がこゝに鎭座しを、今はこもり山の西林寺に、うつしまゐらせたりといふ、, て、相馬の僞都の舊趾とめてわけいるに、まづ相馬小次郎師胤が城跡あり, 田面うちこし、奧山、一の臺、向地、赤ぼけ、岡村、がうしうなどいふ所々、めぢは, 八幡とまうすよしは、妙見菩薩と相殿にまつれるにや、此所よりは、千町の, き岡にて、こゝぞ將門がすみし所なる、まためくるめくばかりの深きほり, 田部海道を經てゆけば、守谷の里なり, けるよし見えたれば、その神宮を、やがて將門が城中へ建たなるべし、妙見, ころ、鬼奴川の流を南へ決て、數万頃の新田をば開かれしといへり、今もな, へ廿町あまりゆけば、大壕、曳橋などいふ所あり、平の臺といふは、いとたか, さて徳左衞門、文伯道しるべし, 畠の中道を東, 天慶二年十二月十五日, ○中, ○中, 略, 略, 將門ノ館, 妙見八幡, 妙見菩薩, 〓, 天慶二年十二月十五日, 五四四

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  • ○中

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  • 將門ノ館
  • 妙見八幡
  • 妙見菩薩

  • 天慶二年十二月十五日

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  • 五四四

注記 (28)

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