『大日本史料』 1編 9 天暦元年 6月~7年7月 p.62

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をもともなへりけるか、滋藤、, 季良か男なり、駿河國富士の麓野浮嶋原を前に當て、清見關に宿して侍り, とも持せて、さゝめかいて上りけるほとに、駿河國清見の關にて行逢、それ, 弟刑部大輔仲舒もともに下向せられける、彼卿は百河宰相五代の末、參議, といふからうたを詠したりけるに、將軍なみたをそなかし給ひける, 去程に秀郷、貞盛は終に凶徒の軍にうちかつて、將門か首、其外同舍弟か首, けるに、あまのいさり火をみて、折節こハろすみけるに、清原滋藤といふ人, 大將軍は下野の押領司藤原秀郷、常陸大掾貞盛なりけるか、同二月八日に, かさねて公卿僉議ありて、宇治民部卿藤原忠文、副將軍の宣旨を蒙りて、舍, ひ、朝家のわつらひとなりぬれとも、天慶三年二月十四日、秀郷かために誅, 漁舟火影冷燒波、驛路鈴聲夜過山、, ひいふはかりなし, より前後の大將うちつれて上洛す、貞盛、秀郷には勸賞おこなはれ、その粧, せられにけり、そのとし纔に六七年なり、昔入鹿大臣天下をかたふけしに, 將門、承平年中よりおほくの人をうしな, 〔たはら藤太物語〕, 天暦元年閏七月二十四日, 〔たはら藤太物語〕〓前田家本將門、承平年中よりおほくの人をうしな, ○前田家本, ○繪, 略ス, ○繪, 略ス, 下, 天暦元年閏七月二十四日, 六二

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  • ○前田家本
  • ○繪
  • 略ス

  • 天暦元年閏七月二十四日

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  • 六二

注記 (26)

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