『大日本史料』 1編 21 永観 2年 3月~雑載 p.271

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寛政、而出于安政年間者、蓋有數而出、似天使之保護者焉、, ものか、延慶は後醍醐の少し前なり、延享は徳川有徳公の頃なり、, 故ニ震災ヲ免レ、永ク千萬歳ノ後ニ傳ル事ヲ得ルモ、嚢嚢祖ノ遺靈有護而使然、不出干, 惜之至也、蓋大義ヲ知ラス妄ニ祕惜スル罪ヲ天ノ怒レルニモや、原卷ハ館ニ留置也、, 加へたるものか、これよりさきの書入にて、延享のとき其書入をも倶に書加へたる, 康頼、長徳元年逝去、歳八十四とあり、これは延享四年にこの書を寫したる人の書, 右、別本醫心方、乙卯十月二日夜、震災之爲メ、半井家自火ニて全ク屬烏有、實ニ可, 今小路・半井兩典藥頭が、其權を奪はれたるは、自ら取る處なりと雖も、其未た之を, 安政四丁巳年正月三日記、唯僅存校異同者、於今也實爲難得之祕册耳、, 一一四、寶物集をかきしは平康頼なり、醫心方をかきしは、丹波康頼なり、丹波氏な, 〔〓庵遺稿〕, 半井氏所藏醫心方二種の一に、延慶舊抄册子本有、延享四年補抄、其第卅卷末に、, るは源順, の比なり、〓中, 〔況齋雜話〕, ○源順ノ事蹟、元年, 是歳ノ第四條ニ見ユ, 獨寐〓言, 失書得譴, 略, ○中, 岡本保孝延, 栗本鋤雲ノ, 慶本ノ奥書, ヲ論ズ, 評, 永觀二年十一月二十八日, 二七一

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  • ○源順ノ事蹟、元年
  • 是歳ノ第四條ニ見ユ
  • 獨寐〓言
  • 失書得譴
  • ○中

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  • 岡本保孝延
  • 栗本鋤雲ノ
  • 慶本ノ奥書
  • ヲ論ズ

  • 永觀二年十一月二十八日

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  • 二七一

注記 (28)

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