『大日本史料』 1編 22 寛和元年正月~3月 p.323

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まつる是なり、民部法眼のうつしたてまつりし尊影は、勢州安濃津の西來寺といへ, 徒一人も遁さしと矢をはなちけれは、こゝに供奉するは元三大師の尊像なり、すみ, をこらしけれは、やすらかに御出生あらせらる、そののち、慈眼大師遺言してのた, 時なりしか、是を聞、いそき馬上より飛おり、兜を免、道を開きて通したてまつり, るにすへたてまつれり、其後、度々山門より乞けれとも、更にうけひかす、寛永十, まはく、本山の例にまかせ、この眞影を當山院々三十日つゝ執事したてまつるへし、, ぬ、こゝにをひて兵燹の難を免れたまひ、夫より堅田の浦へいて、船にて湖東へわ, の公のうつしたまふ尊影は、横川に還座なしたてまつる、今四季講堂に安置したて, やかに通すへしといひけれは、此手の大將關白秀吉公、いまた木下藤吉郎といへる, たり、額田井の庄に少時鎭めたてまつり、後山門再興ありて、天正年中、彼阿闍梨, 又大權の聖像に並はむは恐れあれとも、我頑像もそのあとにしたかひ、ともに大樹, 負たてまつり、香芳の谷を經て、仰木村をさし落行けるに、敵道をさゝへて、衆, の御武運を守りたてまつり、國土豐饒を惠んとそ、夫より當山院々に一箇月つゝ執, 〓輕御令嗣御誕生の御祈のため、慈眼大師かの影像をまうし下し、丹精, 七年、大樹, 寛和元年正月三日, 三二三

  • 寛和元年正月三日

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  • 三二三

注記 (17)

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