『大日本史料』 2編 2 正暦4年7月~長徳3年8月 p.389

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いへととのゝとし比の人々こそあれ、このころまいりよりつる人々は、や, ほしをきてのたまはす、かくあり〳〵ていかゝと、殿の内の人々物にそあ, す、故關白殿うせ給へりしに、御とふらひたになかりしに、哀にたのもしう、, かて出ていきはてにけり、關白の宣旨かうふらせ給て、今日七日にそなら, ま思ひやるへし、左大將殿はゆめに見なし奉らせ給て、御かほにひとへの, そてをしあてゝ、あゆみ出させ給ほとのこゝち、さらに夢とのみおほさる、, せ給ける、さきさきのとのはら、やかてよをしらせ給はぬたくひはあれと、, といふ人なとうせぬとのゝしれは、あなかま、かゝる事はいむわさ也、殿に, なきかせ奉りそと、たれもさかしういひ思へれとも、おなし日のひつしの, あつかひ聞え給ひつ、かひなき事を、返々とののかたにはおほしなけく、さ, させ給ふ、みまやの御馬のこりなく、御車うしにいたるまて、御誦經なとお, 時はかりに、あさましうならせ給ぬ、あなまか〳〵し、とのゝ内の御ありさ, つかひきこえたまへるかひなし、おなし御はらからときこゆへきにあら, 哀におもほしきこえさせ給へりける御中なれは、ゆゝしともおほさす、あ, たる、五月八日のつとめてきけは、六條の左大臣、桃園の源中納言、清胤僧都, 道長ノ悲, 薨去, 歎, 長徳元年五月八日, 三八九

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  • 道長ノ悲
  • 薨去

  • 長徳元年五月八日

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  • 三八九

注記 (20)

  • 513,685,63,2187いへととのゝとし比の人々こそあれ、このころまいりよりつる人々は、や
  • 1788,679,66,2188ほしをきてのたまはす、かくあり〳〵ていかゝと、殿の内の人々物にそあ
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