『大日本史料』 2編 14 寬仁2年12月~3年9月 p.17

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十七日、, ゝまりぬ、くちをしなからひころありて、御はかうもはてぬ、, 五卷の日は御あそひあるへう、ふねのかくなとよろつその御よういかねてよりあるに、, あすの御あそひと, 一品式部卿敦康親王薨ズ、尋デ、錫〓ヲ著ケ給フ、, ひゝかせ給、永昭いみしくめてたくつかうまつれり、御, りなり、黄金の文字は上茅城の, あすとてのよさりきこしめせは、式部卿宮うせ給ぬとのゝしる、, らなといみしうきこしめしはやし給、瑠璃の經卷は靈鷲山のあかつきのそらよりもみと, 百練抄, ばるへきにあらねは、いそかせ給、我も七ほうをつくさせ給、御ほう物宮〻殿はらいと, かたなくめてたし、永昭のさいはひのいみしきと、これにつけても人〳〵のたまひける、, もてゆけは、殿の御まへ、御はかしを御てつから給はするほと、おほえありさまいはん, はるのはやしよりも黄なりなといみしくし, 日有捧物、今日結願也、講師永照依振辯才、大相國感之、施累代寶劍一柄、, もいみしく, 經はてつからかゝせ給へれはにや、いみしくめつらかなる事ともいひつゝけたり、殿は, 十二月十八日、前大相國於京極院、自去十四日修八講、五卷, 師永昭給累代寶劍、是大相國不堪説法之感云々、, いみしうかねてよりせさせ給、かくてはしめさせ給て、つねのかゝる御事とものなかに, 藤子、隨濟信大僧正入壇、眞言・法相兼宗人、, 敦康, 西域記云、上茅城之樹木ハ春天ニ皆黄也、, 永昭、權大僧都、興福寺權別當、住喜多院、阿波守藤喜時輪孫、大藏丞基業〓藤子、隨濟信大僧正入壇、眞言・法相兼宗人、, 孫、大藏丞基業, 或記云、寛仁二年十二月十四日、前太政大臣於京極第八講事、皇太后宮行啓、同十七日、式部卿敦康親王薨、同十八日、八講々, 後一條天皇, 以テ校ス、, 富岡本ナシ、, ○以上四字、, ○富岡本ヲ, ○富岡本、コノ次ニ, よの中ノ三字アリ、, ○中, 巳、, 略, 乙, ○嘉, 或記云、寛仁二年十二月十四日、前太政大臣於京極第八講事、皇太后宮行啓、同十七日、式部卿敦康親王薨、同十八日、八講々, 永昭、權大僧都、興福寺權別當、住喜多院、阿波守藤喜時〓, ○藤, 永昭ノ辭, 道長筆ノ經, 卷ヲ讚フル, 寛仁二年十二月十七日, 一七

割注

  • 後一條天皇
  • 以テ校ス、
  • 富岡本ナシ、
  • ○以上四字、
  • ○富岡本ヲ
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  • よの中ノ三字アリ、
  • ○中
  • 巳、
  • ○嘉
  • 或記云、寛仁二年十二月十四日、前太政大臣於京極第八講事、皇太后宮行啓、同十七日、式部卿敦康親王薨、同十八日、八講々
  • 永昭、權大僧都、興福寺權別當、住喜多院、阿波守藤喜時〓
  • ○藤

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  • 永昭ノ辭
  • 道長筆ノ經
  • 卷ヲ讚フル

  • 寛仁二年十二月十七日

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  • 一七

注記 (46)

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