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運ひ、佛前に詣りて、妙法を聽聞すへきをやと云々、大江匡房卿、勅答有ける, の佛刹に勝るへきをや、去し治安の頃、法成寺の相國、靈光を拜すること有, の境なり、人身を受と雖とも、亦像末佛滅の時なり、現世憑み少く、來報恐れ, は、斯の御恨み云、何んかあらん、夫佛に三身あり、法報應是なり、應化は生滅, り、帝都をさること纔に二十餘里、吾か上皇未た臨幸を遂け玉はす、況や十, 多し、今世若し佛在世たらは、朕も亦諸の國王の數に入て、月氏に望み、歩を, 殿に於て、近習の雲客に勅問ありけるは、朕國王に生ると雖とも、邊鄙粟散, 萬餘里、西天の烟波、假令佛在世たりとも、何そ叡願に堪ん哉と、ここに上皇, 前には肉身を變して、親く遮那の佛體を現し、後には肉身を此山に留めて、, 甘心の御氣色あり、遂に臨幸を思召立給ふと云々、臨幸の首尾は、參議右大, 辨藤原朝臣通俊の御參詣高野記、及ひ扶桑略記に詳なり, 有れと、法報は常住なり、我國佛の在所無きに非す、南岳の高野は、弘法大師, 不滅常住なり、是れ報土に非す、化土に非す、法身如來の密嚴淨土、實に化身, 月廿六日、臨幸高野卷国房申文を案するに、抑上皇登御の由漸は、上皇、白河, 臨幸白河上皇、初度、寛治二年戊辰春二, 紀伊續風土記〕, 按に、大日本史に, は、中右記、略記、百, 高野山部六十, 貴賤參詣, 初度, 三房、, 匡房ノ勅, コトヲ諮, 高野山臨, リ給フ, 上皇佛跡, ヲ訪不ン, 幸ヲ奏ス, 〓, 寛治二年二月二十二日, 四〇八
割注
- 按に、大日本史に
- は、中右記、略記、百
- 高野山部六十
- 貴賤參詣
- 初度
- 三房、
頭注
- 匡房ノ勅
- コトヲ諮
- 高野山臨
- リ給フ
- 上皇佛跡
- ヲ訪不ン
- 幸ヲ奏ス
- 〓
柱
- 寛治二年二月二十二日
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- 四〇八
注記 (32)
- 1304,760,53,1953運ひ、佛前に詣りて、妙法を聽聞すへきをやと云々、大江匡房卿、勅答有ける
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