『大日本史料』 4編 2 文治3年9月~建久元年1月 p.796

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しを初とすべし、此郡は、秀衡三代の頃、置し郡ならんと、ある人のいひしこ, 宮澤村、小林村の邊まて、其部内にてありつらん、いつれも、其地、山と云程に, る宮澤村に祭る所の熊野宮ならん、こゝも、昔は小林村なりしか、此宮によ, 治五年、畠山重忠賜葛岡郡、是狹少之地也と見へたるによく合るなり、又、正, 其舊地き、今の小林村の邊まて、葛岡郡ならん、新熊野は、今に小林村の北な, 鏡に、文治五年八月廿日條下に、令赴玉造郡, 漏に、安貞元年三月、葛丘郡小林新熊野と見えたるは、文字を替て書るなり、, 眞山村、下眞山村、磯田村の邊より南へ、栗原郡の清瀧村、北宮澤村、雨生澤村、, もあらす、原野と云程にもあらす、岡ともの間々に、小澤のある所なれは、文, とくならん、其舊地、今、玉造に併されし葛岡村といふあたりより、同郡の上, 治二年五月、陸奧國葛田郡新熊野社僧、論坊領境、兩方帶文書、望惣地頭畠山, 其後畠山次郎重忠知行當郡之時、殊以崇敬之云々、是は、葛岡を誤るなり、〓, つて、宮澤とは分れつらん、猶いまも、神祭菜にも、古へ忍はしきことともあ, 次郎重忠成敗云々、承元五年四月、陸奧國長岡郡小林新熊野社壇堂舍等、, 出于葛岡郡、赴平泉給と見え, 陸奧軍團考〕, 置沿革諸郡考葛岡郡、こは、古き書に、其名見えず、吾妻, 文治五年九月二十日, 略, 中, 附録, 録, 略、, 文治五年九月二十日, 七九六

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  • 附録
  • 略、

  • 文治五年九月二十日

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  • 七九六

注記 (25)

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