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保刑部丞, はりかな、其地にあらさるものを、今土俗の關寺なりといふ事は、阿彌陀堂, 同四郎、同左衞門次郎、同八郎等アリ、中ニモ刑部丞實光, よふ處あるを以て、是をかんがふべし、, りと見えたり、上の關明神の社より、近松寺の境まては、關寺の門前を左に, 町、下關寺町より西の山、悉く是關寺なるへし、かるかゆへに、今の町の名あ, や縁起なとこれなきやといへは、寺僧かつて知らさるよしをいへり、こと, ハ今モ隣村ナレハ、實光、當所ヲ領セシコトヲ證スヘシ、此餘東鑑承久三年, とて、はるかに後代の草堂なり、思ふに往古の關寺は、今の上關寺町、中關寺, ハ、七黨系圖ニモ見エタリ、世系多治比古王ニ出テ、父ハ秩父丹五基房ト云, 家經同國ノモノトシテ、所領モ境ヲ雙テ、朝夕申通スル中ナリト云々、鹽谷, 刑部丞實光ト記セシヲ、承久記ニハ阿保實光ト記シ、且曰、實光鹽谷民部丞, 六月十三日、宇治橋合戰手負ノ内ニ、安保右馬允、同月十四日打死ノ内ニ、安, 見て、京より松本及ひ東にゆきたるとみゆ、いま關寺町と號し、關清水町と, 又實光カ子五郎左衞門某、其孫太郎某マテヲ載セタレト、其餘ハ系圖ニモ, 安保領之一元安保村東鑑ニ、安保, 〔新編武藏風土記稿〕, 二百四十四, 則實光ナ, ル(シ, 加美郡之二, ノ所領, 安保實光, 承久三年六月十四日, 二八四
割注
- 二百四十四
- 則實光ナ
- ル(シ
- 加美郡之二
頭注
- ノ所領
- 安保實光
柱
- 承久三年六月十四日
ノンブル
- 二八四
注記 (25)
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