『大日本史料』 5編 3 嘉禄元年是歳~安貞元年6月 p.891

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けり、誠に貴と申さむもかへりておろかなり、, 孫ちぎりふかく、前後たのみあるものか、さて御棺の葢をあけたりければ、, くやと哀にぞ見へにける、, ながし、各々に袖をしぼる、恐らくは双樹林の暮の色、跋提河の曉の波も、か, 日既に知れたり、倩〳〵往事をおもへば、祖父金吾朝綱の朝臣は、東大寺の, さとれり、家をわすれ、親をわすれ、生をわすれ、身をわするゝ事、呉起が詞、今, 御面像は在世の時にすこしもかはらず、異香は數年の後までとほく薫じ, 養の爲にして、なほ四儀をえず、今は速に往生極樂の爲にして、忽に一心を, 其曉やがて嵯峨へ遺骸を渡奉る時、御棺をかいて洛中を過るに、催さゞれ, 脇士觀世音菩薩を造立し奉て、かたみを南都にとゞめ、孫子沙彌頼綱法師, は、西方界の教主阿彌陀如來を歸敬し奉て、たましゐを上刹にすましむ、祖, 宮入道申けるは、五材四儀はもと百勝の術なり、しかれば古は偏に名聞利, ども、先師の遺弟、念佛の行人御供に參る人々一千餘人也、面々になみだを, 過洛中事, 自嵯峨奉渡廣隆寺事, 從スルモ, ノ一千餘, 遺骸ニ隨, 懷, 蓮生ノ述, 人, 安貞元年六月二十二日, 八九一

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  • 從スルモ
  • ノ一千餘
  • 遺骸ニ隨
  • 蓮生ノ述

  • 安貞元年六月二十二日

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  • 八九一

注記 (23)

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