『大日本史料』 5編 4 安貞元年7月~寛喜元年2月 p.28

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他事なかりき, へとも、心は佛道にかけたり、ねかはくは家業をすてすして、生死をはなる, みて、餘行をもて生死をいとふは、陸地に船をこくかことし、他力をたのみ, 歳、時機相應の教行は、たゝ念佛の一門なり、されは飛錫禪師は、末法にのそ, 教多門なれとも、聖道淨土の二門をいてす、しかるに聖道門は、有智持戒の, 善最上の法をさつけられたれは、有智無智をえらはす、在家出家をきらは, へき道ををしへ給へと申されしに、律師のたまく、年少の御身、武家のうつ, す、彌陀他力の本願を信すれば、往生うたかひなし就中末法に入て七百餘, 師をは、西阿か住所相模國飯山へ相具したてまつる、八月一日、鎌倉をたち, はものとして、この御尋にをよふこと、宿善の内にもよほすなるへし、凡佛, 人にあらすは、これを修行すへからす、淨土門は極惡最下の機のために、極, 輿をかきすへさせて、對面したまふ、朝直朝臣、身は武家にむまれたりとい, の四郎と申けるか、御靈のまへにをひつきて、事のよしを申されしに、律師, 給けり、律師飯山へうつり給しのちは、森の入道尊崇いよ〳〵ふかく、歸敬, 律師鎌倉をたちて、飯山へくたり給しとき、武州刺史朝直朝臣, 相模, ○中略、隆寛寂スルコトニカヽ, ル、十二月十三日ノ條ニ收ム, 于時廿, 二歳, 受ク, 朝直隆寛, 隆寛朝直, 山ニ移ス, ヲ相模飯, ノ教化ヲ, 西阿隆寛, ニ説法ス, 安貞元年七月六日, 二八

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  • ○中略、隆寛寂スルコトニカヽ
  • ル、十二月十三日ノ條ニ收ム
  • 于時廿
  • 二歳

頭注

  • 受ク
  • 朝直隆寛
  • 隆寛朝直
  • 山ニ移ス
  • ヲ相模飯
  • ノ教化ヲ
  • 西阿隆寛
  • ニ説法ス

  • 安貞元年七月六日

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  • 二八

注記 (30)

  • 1584,655,54,413他事なかりき
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