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八幡宮境内森山, 然るに安, 淵と稱するも、其宮居の在るより稱へ來りしならん, 八月十三日開門、十九日寺家御還著、廿日所召籠寺僧, 上古應神天皇天野社に寄せ給ふ、神地四至の西の限にして、後應神山と名, 八月十三日、南都衆徒和平、開諸堂、賢木歸座本社云々、, 村の東本川谷を隔てゝ丸山の尾崎にあり、友淵莊中の産士神なり、此地は, 「紀伊續風土記, つけし地、即此地なり、八幡宮を奉齋る事、何れの時なるを知らす、此地を鞆, 故郷へ歸る時、八幡宮は元より産土神なれは、更に男山の祭式に象らしめ、, 貞の頃、莊司の先祖の妹に鶴千代姫といふあり、宮仕して帝の寵を蒙り、後, 神輿を送らしめ給ふとなり、是より宮居盆壯麗を盡せしなるへし, 興福寺衆徒復歸ス、尋デ、前興福寺別當實尊ヲ還補ス、, 者無御免流罪云々、三藏院法印者解官シテ下遣之、侍從得業并五師修學者, ノセタルモノナリシナルベシ、, 〔續南行雜録〕, 百練抄, 安貞二年八月十三日, 鞆淵の事は, 莊論に出す, 又莊司の家にては、鶴千代姫は、下司千楠丸の妹とい, 東西二町半、南, ふ、千楠丸は應永頃の人なれは、是も亦傳への誤なり、, 北三町、〇中略, 社傳に, 友淵莊本川村, 舊天神ありしに、安貞二年莊司の家、男山の八幡宮を勸請せしといふ、然れ, 三十九那賀郡, とも其元より在せし天神といふは、即八幡宮なる事、古を考へて知るへー, は、此地, 後堀河院, 祐茂, 十三, 記抄, 抄, ヲ開ク, 衆徒諸堂, 鞆淵八幡, 興福寺寺, 石清水ト, ノ關係, 僧流罪, 宮, 安貞二年八月十三日, 六七四
割注
- 鞆淵の事は
- 莊論に出す
- 又莊司の家にては、鶴千代姫は、下司千楠丸の妹とい
- 東西二町半、南
- ふ、千楠丸は應永頃の人なれは、是も亦傳への誤なり、
- 北三町、〇中略
- 社傳に
- 友淵莊本川村
- 舊天神ありしに、安貞二年莊司の家、男山の八幡宮を勸請せしといふ、然れ
- 三十九那賀郡
- とも其元より在せし天神といふは、即八幡宮なる事、古を考へて知るへー
- は、此地
- 後堀河院
- 祐茂
- 十三
- 記抄
- 抄
頭注
- ヲ開ク
- 衆徒諸堂
- 鞆淵八幡
- 興福寺寺
- 石清水ト
- ノ關係
- 僧流罪
- 宮
柱
- 安貞二年八月十三日
ノンブル
- 六七四
注記 (45)
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