『大日本史料』 5編 7 寛喜3年10月~貞永元年6月 p.28

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

松浦長年謹稿, テラレ玉テ、此地ニ付玉フヲ、所ノ海士集リ、衣裳ヲウハヒケル時、ミヤスミ, ルラン、ハヤクハシ舟ニノセ捨玉ト云ノヽシリヌ、依之小舟ニノセ流シ捨, 證に出して、いよ〳〵此所を御陵の地に定め置ぬ、また細井知愼か諸陵周, つは御祭日、年毎乃十月十一日なるを以て、土御門院御忌日に當れりと傍, ハナタハ祟ルルヘシトノ玉イシトナリ、其後此里浦ノ海人等、多ク癩病人, 所、一衣ハユルセト泣玉へ共、事共思ハスフゴニ入ヌ、其時其フゴヲ放ツナ, 有土御門院陵、平地積石と記し、また蒲生秀實ら山陵志も此書に雷同し、か, 人々石ヲハコヒテツキシ墓ナル故ニ、土御門天皇ノ御墓トモ言傳、, 不絶トナリ、終ニ御休息所ハ〓サレサセ給イシト云、此墓ハ、承久四年、此國, へ土御門有遷幸テ、御休息所ノ御跡ヲ尋玉イテ、此浦ニ來リ玉フテ、御供ノ, へ、また清少納言乃塚とも唱へたり、松下西峯か前王廟陵記に、里浦無養村, 垣記にも、里浦と記し、當國人先輩吉井氏も里浦とし、赤堀、永井乃兩氏は、池, 谷村かといひなから、なほ里浦をも捨か〓たるは、とるへ定めぬ舟のこゝ, 撫養莊里浦に今も現在なす處乃古墳を、土御門天皇の廟陵のよしいひ傳, 〔土御門天皇御舊跡考證〕里浦古跡, 板野, 郡, 里浦ノ古, 墳, 寛喜三年十月十一日, 二八

割注

  • 板野

頭注

  • 里浦ノ古

  • 寛喜三年十月十一日

ノンブル

  • 二八

注記 (22)

  • 991,1931,58,410松浦長年謹稿
  • 1692,642,59,2188テラレ玉テ、此地ニ付玉フヲ、所ノ海士集リ、衣裳ヲウハヒケル時、ミヤスミ
  • 1809,643,59,2199ルラン、ハヤクハシ舟ニノセ捨玉ト云ノヽシリヌ、依之小舟ニノセ流シ捨
  • 411,635,63,2208證に出して、いよ〳〵此所を御陵の地に定め置ぬ、また細井知愼か諸陵周
  • 525,633,62,2208つは御祭日、年毎乃十月十一日なるを以て、土御門院御忌日に當れりと傍
  • 1459,646,60,2188ハナタハ祟ルルヘシトノ玉イシトナリ、其後此里浦ノ海人等、多ク癩病人
  • 1575,633,62,2215所、一衣ハユルセト泣玉へ共、事共思ハスフゴニ入ヌ、其時其フゴヲ放ツナ
  • 641,632,62,2205有土御門院陵、平地積石と記し、また蒲生秀實ら山陵志も此書に雷同し、か
  • 1107,632,59,2008人々石ヲハコヒテツキシ墓ナル故ニ、土御門天皇ノ御墓トモ言傳、
  • 1338,633,63,2206不絶トナリ、終ニ御休息所ハ〓サレサセ給イシト云、此墓ハ、承久四年、此國
  • 1222,646,62,2179へ土御門有遷幸テ、御休息所ノ御跡ヲ尋玉イテ、此浦ニ來リ玉フテ、御供ノ
  • 758,647,61,2194へ、また清少納言乃塚とも唱へたり、松下西峯か前王廟陵記に、里浦無養村
  • 295,636,63,2212垣記にも、里浦と記し、當國人先輩吉井氏も里浦とし、赤堀、永井乃兩氏は、池
  • 179,636,63,2190谷村かといひなから、なほ里浦をも捨か〓たるは、とるへ定めぬ舟のこゝ
  • 875,631,62,2215撫養莊里浦に今も現在なす處乃古墳を、土御門天皇の廟陵のよしいひ傳
  • 978,582,94,1118〔土御門天皇御舊跡考證〕里浦古跡
  • 1024,1720,41,113板野
  • 978,1721,40,39
  • 1010,280,44,167里浦ノ古
  • 968,279,40,38
  • 1924,716,45,393寛喜三年十月十一日
  • 1925,2435,41,78二八

類似アイテム