『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 3 p.141

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めに江都上水といへるは玉川・神田の二水あり、水元玉川をせき入るは玉川上水なり、, 川丈凡十六里といふ、矢口六郷の渡シも此川の末なり、又云、玉川水元甲斐國一ノ瀬と, といふ、夫より川野村・河内原村・境むら・氷川村になかる、一ノ瀬より羽むらまて貳, 津むら境より武州玉川といふ、留津浦より羽村まて川丈凡十餘里、羽村より六郷川まて, 井の頭の池水を引は神田上水なり、先年青山上水あり、三田上水あり、千川上水あり、此, り凡四十里はかり、留津浦より玉川といへる場所凡三十里はかりなり、多波山を流れ出, るゆへにその所に多波川といひ、多摩郡に至りて此所にて玉川と傳ふる説あれと、多摩, 拾里、留津浦より羽村まて十三里、一ノ瀬より留津浦まては七里餘、黒川はむかしの金, てなすにはあらす、元よりの兩唱にや、多磨の磨、摩麻紛々、倭名抄に隨て磨の字を正字, 三上水もみな玉川の分水なり、又本所・龜有上水有といふ、又云、甲州鴨澤村・武州留, いふ所也、夫より黒川といふ所へ流、ほうの瀬・鴨澤へ流れ、むさしの留津浦より玉川, 山の跡あり、民家なし云云、説々不同あるに似たれともおほくは違はす、川丈一ノ瀬よ, の字まとも讀は、馬ノ字をまともはともよむに同しけれは、磨波二ッの唱へ地をわかち, "の分量見廻リ拂引事、外茅年貢御代官取立納ニ相成候事、都合十卷といふ、卷のはし, 白堀通渡下水橋の儀且水番人給金等水番人廻リ方同心白堀見廻リの儀水料米の事、水掛, 青山三田千川, ノ三上水, 龜有上水, 玉川上水ノ流, 路, 別紀第八(武藏), 一四一

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  • 青山三田千川
  • ノ三上水
  • 龜有上水
  • 玉川上水ノ流

  • 別紀第八(武藏)

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  • 一四一

注記 (22)

  • 1701,759,70,2211めに江都上水といへるは玉川・神田の二水あり、水元玉川をせき入るは玉川上水なり、
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