『大日本史料』 5編 8 貞永元年7月~天福元年5月 p.693

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す、東鑑に、貞永二年五月廿七日, ち、補陀洛山に行しといふ, 文を擧けて、世の惑を釋く、, すを見るに、尋常の海島にして、靈應のいふへき事なし、因りて留青日札の, 煉丹于此因名、有善才〓潮音洞、世稱觀音大士化現之地、僧徳韶甃石橋、宋寧, も、皆其跡を追ふといふ、明の田藝衝著す所の留青日札、補陀洛山の事を書, 按するに、補陀洛, 此地より渡海すれは、補陀, を以て極樂淨土となし、下河邊行秀の如きも、是を信して渡海し、代々住持, 洛山に行くといふ事、古くより浮屠のいひ出たるより、終に寺を建てゝ、補, 留青日札曰、補陀洛迦山、在定海縣東海中、約一潮可到、一名梅岑山、或謂梅福、, 宗題曰大士橋、佛書所稱海〓孤絶處是也、愚民以爲、甚著靈應、唐大中間建寶, 千手堂平政子石寶塔濱宮王子の境内にあり、此寺草創の時代詳なら, 陀洛山と號するならん、當寺の住僧、舊は臨終以前に船に乘せて海上に放, 〔紀伊續風土記〕, 山の事、佛經に載せて、觀音大士の靈場とするより、愚俗其説に迷ひて、其所, 補陀洛寺, 參考, 其舟綱を切放ちし所を綱切島, といふ、勝浦村の條下に見ゆ, ○前掲ノ文ト同, ジキヲ以テ略ス, 濱ノ宮村, 七十八牟婁郡十, 牟婁郡十, 那智莊, 那智莊濱ノ宮村, ノ傳説, 補陀洛山, 天福元年三月七日, 六九三

割注

  • 其舟綱を切放ちし所を綱切島
  • といふ、勝浦村の條下に見ゆ
  • ○前掲ノ文ト同
  • ジキヲ以テ略ス
  • 濱ノ宮村
  • 七十八牟婁郡十
  • 牟婁郡十
  • 那智莊
  • 那智莊濱ノ宮村

頭注

  • ノ傳説
  • 補陀洛山

  • 天福元年三月七日

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  • 六九三

注記 (31)

  • 1519,638,66,910す、東鑑に、貞永二年五月廿七日
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