『大日本史料』 5編 8 貞永元年7月~天福元年5月 p.695

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東鑑こ云、, 因如板輿にのせ、觀音と權現へ參詣のやうをなし、權現の御前ゟ、此道筋, へるは、皆理を以て論したるものにして、人間世界現在其所あるにあら, く眞に觀音の淨土とす、笑へし、今那智の補陀洛寺も、維盛、行秀ろ入水せ, 直に海端へ出る時、あれ成る一ノ鳥居迄は、助錯人互に問ツ答ツして、存, 有と披露し、先例の〓く認め、百八の白石に經文を頓寫し、袋に入、共に結, す、莊子に、建徳の國を説るに同し、然るを昌國縣の補陀山を以て、梵書に, 間を限て、〓生を禁し、境内清淨の傍示の内なるによりて、住持渡海の望, 稱する處の補陀落寺とするき非也、只佛説の補陀洛山に擬へたるを、誤, 時は、寺内こて、一向遷化の沙汰をせす、其所以は、東西四十八間、南北廿四, しといふより始りて、住僧代々生なから水葬せられて、觀音の淨土へ趣, 爲對釋迦佛、説大悲心印之處云々、夫補陀落山は、觀音の淨土と梵書にい, んとおもふき、惑へるの甚しきに非すや、棚水鏡曰、補陀洛寺の僧入寂の, 今按、中華にも、是又類せる事有、佛祖統記にのす、, 補陀山在大海中、華嚴所謂南海岸孤絶處有山、名補陀落迦山、觀音宮殿、是, ○前掲ノ文ト同, ジキヲ以テ略ス, 補陀洛渡, リノ説, 天福元年三月七日, 六九五

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  • ○前掲ノ文ト同
  • ジキヲ以テ略ス

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  • 補陀洛渡
  • リノ説

  • 天福元年三月七日

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  • 六九五

注記 (21)

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