『大日本史料』 5編 27 宝治2年10月~同年是歳 p.77

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られ、ふるき事どもかんがへらる、ひら野といひけるを、陰陽寮にすゑて、ミつのとの, けるをぞ、いとあさましき事には申侍りし、かのかま、むかしハ三ありける、一をばひ, 月・十二月の御神事の御せんをてうじけり、庭火にてつねのごせんをばつかまつれり、, ら野、一をは忌火、一をは庭火と申けるを、圓融院の御代永觀のころ、二ハうせにけ, の程に、二條あふらのこうぢに火いできて、閑院殿, り、いま一のこりたるに、かゝる事、いとよろしからぬわさなりとて、神祇官にたづね, 祭といふ事にもちゐけれど、中ごろより、かのまつりハたえぬ、忌火といふにてハ、六, を、そこなハれたる所はかりを、なをさるべしかとも、色〳〵にさためかねられたり、, かゝれば、いとたい〳〵しき事にて、はじめていもしにおほせらるへしとも申、ふるき, のついがきのうちなれは、内膳屋燒て、神代よりつたハれる御かまも、やけそこなはれ, ○内膳司ノ釜燒損ヲ軒廊ニトスルコト、十一月十九日ノ條ニ、内膳屋造營日時定ノ, コト、十二月十七日ノ第二條ニ見ユ、, この御るす, 〔増鏡〕, 入道大きおとゞなども、ふるきをなをさるべしと申さるとぞ聞えける、, 本月二十一日ノ第一條ニ見ユ、, ○後嵯峨上皇、宇治御幸ノコト、, けふりのすゑ〳〵, 七, ひら野ノ釜, 忌火ノ釜, 庭火ノ釜, 寶治二年十月二十二日, 七七

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  • 本月二十一日ノ第一條ニ見ユ、
  • ○後嵯峨上皇、宇治御幸ノコト、
  • けふりのすゑ〳〵

頭注

  • ひら野ノ釜
  • 忌火ノ釜
  • 庭火ノ釜

  • 寶治二年十月二十二日

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  • 七七

注記 (24)

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