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より、鎌倉殿の御家人となりて、, らす、又惟直か國より差上したるとも聞えさる上に、肥後國御家人といひ, たるを思へは、惟頼は元より惟時か一族なるには、たかはされとも、はやう, も、公武兩立の世となりし後は、天下の武士、大かたは、鎌倉殿の御家人なら, として、御家人とは名のりたるにか、こはまたいと心えかたきやうなれと, ぬは、まれなりしか、何某殿の御家人といはて、たゝ御家人とたにいへは、鎌, たり、されは其比は鎌倉もすてに亡ひて、將軍とてもおはさねは、誰をぬし, にひかれて、何心なく、猶御家人とは稱したる也、惟頼此時の功勞によりて、, 倉殿の御家人といふ事、いちしるしかりしか、おのつから世のならはしと, なりて有し故、鎌倉は亡ひて、いく程もなき間のことなれは、惟頼も其舊習, 明る建武元年十一月二十六日に、豐前國萱津又三郎跡五分一を、勳功の賞, として宛行はれし、左衞門佐奉の綸旨、同年十二月十七日の豐前國の國宣、, ころ旗をたてゝゐたりと見え, 同月二十二日の雜訴決斷所より豐前國守護所へ牒なと見えたり、, 〔石川系圖〕, 家光公母堂經時朝臣女, ○此間〓字, アルベシ, 流無盡, ○原題源, 母堂經時朝臣女, 家人ノ稱, シ後モ御, 鎌倉亡ビ, ヲ用フ, 石川氏, 元弘三年七月是月, 一六二
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- ○此間〓字
- アルベシ
- 流無盡
- ○原題源
- 母堂經時朝臣女
頭注
- 家人ノ稱
- シ後モ御
- 鎌倉亡ビ
- ヲ用フ
- 石川氏
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- 元弘三年七月是月
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- 一六二
注記 (28)
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