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〔參考〕, 郡の内に入て保内といふ、四十餘村, 氏攻取り、保内の都會大子の城主芳賀氏をも降參たりし事、常陸國誌に載, たり、其後又佐竹氏の有となり、にの時より常陸とは成たるなるべし、今此, 内を常陸の疆界に收めしは、恐らくは白河結城の領地を、永正のころ岩城, とて、保名を以て呼ひし故に、今保内といふなり、今文字を寄神とも書す、保, 依上保可有御知行事、綸旨如此、先退前給人代官、年貢不散失之樣、可被加下, 建武元年四月十六日大藏權少輔清高奉, 謹上陸奧宰相中將殿, 保内より、西は下野の國へ出て、東は常陸の小里の郷に出る處に、堺明神の, 〔白河古事考〕五依上、和名抄、白河郡の郷名に依上あり、今は常陸國久慈, 知之旨、國宣候也、仍執達如件、, (北畠顯家ナラン), あり、中古依上の保, 上野入道殿, 御判, (結城宗廣〕, 建武元年三月十八日, ○常陸國郡郷考, 四十二村トアリ、, (結城宗廣〕, 建武元年三月十八日, 四八六
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- ○常陸國郡郷考
- 四十二村トアリ、
- (結城宗廣〕
柱
- 建武元年三月十八日
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- 四八六
注記 (23)
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