『大日本史料』 6編 2 建武元年10月~延元元年正月 p.984

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守ル、, 水の池の疊石もうこかす、水は清く滿々たり、此城の元、式部大輔季定より、, 跡あり、東北の峯に、布施淡路守丸、東峯に大夫殿丸、同池田丸とて跡有、古昔, は、殘り留る形あるも理なり, の通、石垣礎、ありの儘なり、此外登城の坂には、本坂、赤坂のきさはし、麓まて, も其儘なり、大門の跡、下馬、入門、犬追物庭、七曲、臼ころはし、桑峯越、五の道、用, の間名は、三國峯によるの名也といふ、御在住の殿は、其下今の堂の近邊に, 承禎義治まて十八代、年數四百有四年、寛治より永祿まて相續の舊跡なれ, の少し上にあり、相傳、觀音城繁榮の時は、觀音堂は山下に有、城沒落の後、今, 武田信武、兵ヲ率井テ上京シ、是日、高師直ノ軍ニ勢多ニ會シ、供御瀬ヲ, の處にうつすと云、三國間とて大殿を建諸頭より集り、政務を取行處、三國, 眼前に見ゆると云によつて也、三石いしとて、峯に大石あり、城跡は觀音堂, 觀音城址、觀音山にあり、山の高さ十八町許, 直立六十間許、嶺を駒眼といふ、十方嶺ともいふ、故は、三箇國, 〔近江輿地志略, 〔黄薇古簡集〕, これ坂を上て, の高さなり、, 五十九, 蒲生郡六, 觀音寺城, 延元元年正月十三日, 九八四

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  • これ坂を上て
  • の高さなり、
  • 五十九
  • 蒲生郡六

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  • 觀音寺城

  • 延元元年正月十三日

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  • 九八四

注記 (23)

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