『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.119

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忠孝を今に殘すものなり、妙惠も將軍の御爲に命を捨、義明か振舞に少も, 今を限りの別と思ひけれは、互によはみをみせしとはしけれ共、行もとゝ, たるへしと、〓を流して念比に申けれは、和田小太郎義盛、荒次郎義澄以下、, は、心を一にして忠節を盡して、將軍を御代に付奉るへし、是を以て大佛事, に存すへし、然は冥闇も明らかならん、經陀羅尼の佛事は聊も受へからす、, まるも、皆〓をおさへてそ出ける、其後義明は重忠に討とらる、此故に三浦, 傳聞治承に頼朝義兵の始、三浦介義明衣笠の城にて、畠山の重忠と戰ける、, にて防戰へし、汝等は君の御方に參して忠を致すへし、天下は必源家の代, 君の爲に忠節を盡さは、子孫永く二心を存すへからすとて、宰府の近き所, を汝等に施さん事、悦のうへの喜也、一所にて命を捨へからす、義明は此城, 存命無盆なり、二方の御下向に命を奉るより外、別に何の志かあらん、わか, 爲に命を奉る、追善更に有へからす、頼尚を始て一族家人、生殘たらむ者共, 最期に子共に命して云、我源家累代の家人として、老の命を君に奉り、勳功, 時に妙惠僧を近付て、子息頼尚か元へ申送りけるこそ哀なれ、我將軍の御, 内山といふ山寺に馳籠て、最後の合戰を數刻致して、腹をそ切たりける、其, 殺ス, 頼尚ニ遺, 善ヲ止メ, 言シテ追, 山寺二自, 報效ヲ圖, 貞經有智, ラシム, 貞經自ラ, 三浦義明, ニ擬ス, 延元元年二月二十九日, 一一九

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  • 殺ス
  • 頼尚ニ遺
  • 善ヲ止メ
  • 言シテ追
  • 山寺二自
  • 報效ヲ圖
  • 貞經有智
  • ラシム
  • 貞經自ラ
  • 三浦義明
  • ニ擬ス

  • 延元元年二月二十九日

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  • 一一九

注記 (28)

  • 253,635,66,2212忠孝を今に殘すものなり、妙惠も將軍の御爲に命を捨、義明か振舞に少も
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