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義貞朝臣の討れさせ玉ひし所有り、過し比、光通卿, 治三年、大守光通公石碑を御立なさる, 田の中なり、明暦の季年、所の農夫冑を田の中より掘出したると云、是より, 新田塚は、福井より行き右手の, 以告後之考古者也、享保十七年壬子年三月從五位下本多伊豆守藤原富正, 藤島なといふ城跡も、今は皆田の中になりて、畔はかりそれそとは見ゆ、, 然ルニ、元文二丁巳歳七月二日ハ、源光院殿ノ四百年ノ遠忌ニ相當ル故ニ、, 與秀道上人有通家之誼、相識者久矣、且恐此〓多之地與寺隕沒、聊記其梗〓, 同年四月廿日、江府ヨリ御香奠白銀百枚御進納、猶又御老中ヨリ稱念寺へ, して義貞戰死の地たる事證然たるにより、万治三年あらたに銘石を立ら, 御奉書被成下ニ因、於當寺太守公ヨリ慇懃ノ御法事アリ、, をかゝしめ玉ふ、行人征馬の街なれは、見る者感を催さすと云事なし、黒丸, 新田義貞戰死の所、福井より拾七八町許北に當り、三國道の先にあり、万, 其所に印の石塔を立て、暦應元年閏七月二日、新田義貞戰死此所と、碑の銘, 庶孫本多修理恆久建、, 〔越前國名蹟考, の御計ひにて, 〓田郡福万村新田塚燈明寺といふ里の邊に、左中將, 名勝, ○越前國, 主松平, 歸, 罹, 志, 七, 新田塚ト, 稱セルモ, 松平光通, 碑ヲ建ツ, 万治三年, 南朝延元三年北朝暦應元年閏七月二日, 九三六
割注
- 名勝
- ○越前國
- 主松平
- 歸
- 罹
- 志
- 七
頭注
- 新田塚ト
- 稱セルモ
- 松平光通
- 碑ヲ建ツ
- 万治三年
柱
- 南朝延元三年北朝暦應元年閏七月二日
ノンブル
- 九三六
注記 (32)
- 1005,631,60,1503義貞朝臣の討れさせ玉ひし所有り、過し比、光通卿
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