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り、この碑によれは古河のむかひは上佐野といひ、此根子屋のあたりは下佐野といひて、, 塚・國府村國分寺等の事を記す、十二日箕輪古城址にいたる事をしるす、極めて詳なり、, て、伊豆の國府の祓出に著たりと云を引、又大和なる春日社の二鳥居の内に祓戸の社あ, る事を引、曾木村、和名鈔に、宗伎の字を用たるは此所なるへしと云、是日甘樂郡より, は、是は只知りたる所にて住しにはあらす、定て館も別に造られ、郎從なとも多く住つ, 中に流るゝ河なん佐野の中河にてや有けんと考をしるす、寺尾にいて水福寺に詣す、新, 此碑に下替の郷と記せり、今此あたりは根子屋といひ、是より河のむかひは佐野といへ, の宮に詣る人のこゝにて祓せしならんと、東鑑、加藤景貞か二人の子甲斐に落ゆかんと, 多胡郡に入、多胡の碑の事を載、また金井澤にいたり、神龜元年の碑を見たる事を載、, 十三日田波宿禰の社・吾妻の社・白井古城・雙林寺・大乘院・雲惠寺等を記す、十四日, 田を過き、八幡宮に詣て、白岩の觀音、保渡田の西光寺によきり、野田の華藏寺に歸る、, 田上西の城跡といふ、大倉村、帶刀長源義賢の館の跡といふあり、平家物語り抔をみれ, 八曰より十日こゝに宿す、十一日大窪の石室・惣社町光岩寺・惣社大明神・大友主馬, らむ、それを傳へ誤りて云なるへしといふ、七曰烏川にそひ、豐岡若宮八幡・藤塚・富, 赤城山に登る、山中の事詳に記せり、十五日宮田村南光院にまうす、十六曰・十七日〓, 新田上西ノ城, 金井澤ノ碑, 多胡ノ碑, 箕輪古城址, 赤城山, 跡, 編脩地誌備用典籍解題卷之二十五, 三一八
頭注
- 新田上西ノ城
- 金井澤ノ碑
- 多胡ノ碑
- 箕輪古城址
- 赤城山
- 跡
柱
- 編脩地誌備用典籍解題卷之二十五
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- 三一八
注記 (23)
- 1206,715,56,2269り、この碑によれは古河のむかひは上佐野といひ、此根子屋のあたりは下佐野といひて、
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