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飛鳥山碑始末二卷, 道灌丘碑文一卷, 太田道灌に附會せしこと世のしるところなり、されと、そのあやまりも久しき事にて、, 丘は其斥候臺の址也といふ、掛川城主太田氏すなはちその後裔にて、寛延庚午寺主日忠, なるもの其臣古屋孝長・四宮成煥とはかり、石を丘上に建て、正猗をしてその事を書せ, かの曰ころ信心しぬる觀音の像を一宇に安置し、一寺を創建して西蓮寺といひしと云々、, 曰暮里本行寺にあり、寺の西北の山道灌山と呼ふ、太田持資入道道灌保障の遺にして、, しむ、是其〓文なり、寶暦壬申太田資信序あり、しかるに、この丘關道閑か舊跡を誤て, 近世にいたりてはしめて明なれは、正猗か誤をうけて、碑文をかきしもむへなり、, 鳳卿元文年中旨を奉して飛鳥山に碑を建、物うつり星かはり、後年久くして子孫の事, 實を誤らん事をおそれ、いさゝかしるして後來に貽す、嫡孫司直側より鉛〓をとり是を, 石正猗撰、正猗字仲緑、號筑波山人、俗稱石島與右衞門、常陸筑波人、道灌丘江戸城北, 成島和鼎撰、和鼎字梅卿、寛政庚申自序、文化乙丑孫司直序あり、自序を案るに、其父, 寫本, 一册, 刻本, 一册, 册, 關道閑ノ舊跡, ヲ誤テ太田道, 資信序, 元文年中成島, 鳳卿命ヲ受ケ, 成島和鼎撰, 司直序, 灌ニ附會セシ, 寶暦二年太田, 寛政十二年自, 文化二年成島, 石島正猗撰, 飛鳥山ニ碑ヲ, モノ, 序, 編脩地誌備用典籍解題卷之十一, 一八四
割注
- 寫本
- 一册
- 刻本
- 册
頭注
- 關道閑ノ舊跡
- ヲ誤テ太田道
- 資信序
- 元文年中成島
- 鳳卿命ヲ受ケ
- 成島和鼎撰
- 司直序
- 灌ニ附會セシ
- 寶暦二年太田
- 寛政十二年自
- 文化二年成島
- 石島正猗撰
- 飛鳥山ニ碑ヲ
- モノ
- 序
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- 編脩地誌備用典籍解題卷之十一
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- 一八四
注記 (35)
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