『大日本史料』 6編 5 暦応元年8月~暦応2年12月 p.515

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かれたる、このとを太政官符を賜り、武家よりもおほくの莊園を寄附せら, はむへならすや、國師天性假山水のおもむきを得て、島々洲崎そのよろし, 山八海を移し給ふといひ傳へしもかゝる事になん、されは國師の御心、爰, ため堀そへ給ふ數々の池水を、今引移して心といふ文字にかたとり給ふ, れたる、國師西方寺の方の字に艸冠をくはへす、西芳精舎となして額をあ, に遊觀するともからは、をの〳〵その根器にしたかひ、或は當來をまたす、, 〓給ひしは、祖師西來五葉聯芳といふ義により佛殿に本より彌陀如來の, となし、殿堂門廡に至るまてかたのことく造營あり、よつて中興開山と仰, めし、聖徳太子行基菩薩をはしめ、世々の高僧法然上人に至るまて、放生の, き所にしたかひて佛閣僧舎を建、又そのあいた奇岩怪樹の有さま、世に九, 其名ことなりといへとも、衆水にうぼる月は本天上の一輪といふ事をし, 三尊を安置しあれは、西方來迎の文字をか〓、西來堂と名つけ、念佛と修禪, けき、いかなる高僧をも請し再興をんと、本尊に參籠し靈夢をかうふり、暦, 應二年臨川寺にまうてゝ、夢〓國師を拜請し、始て教家をあらをめて禪宗, かさねて堂舍を建立し, 四代の孫攝津掃部頭藤親秀ふかく此事をな, ○中, 略, 西芳ノ名, 疎石泉石, ノ趣ヲ窮, 義, 興, 親秀ノ再, 南朝延元四年北朝暦應二年四月是月, 五一五

割注

  • ○中

頭注

  • 西芳ノ名
  • 疎石泉石
  • ノ趣ヲ窮
  • 親秀ノ再

  • 南朝延元四年北朝暦應二年四月是月

ノンブル

  • 五一五

注記 (26)

  • 1403,650,63,2211かれたる、このとを太政官符を賜り、武家よりもおほくの莊園を寄附せら
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